長崎3日間の旅
平成28年2月16日から18日にかけて2泊3日で長崎とその周辺を旅した。
2月16日(火)
伊丹空港に9時20分に集合し、10時30分発の航空機で長崎空港に向かい11時50分頃に到着した。この後、佐賀県の陶器の有田町に向かった。途中、有田ポーセリンパークで昼食を取った。このパークには姉妹提携をしているマイセンのツヴィンガー宮殿を模した同じ大きさの建築物がある。これはバブル期の倒産会社の遺物で宗政酒造が借用運営しているとのことである。昼食後、有田町の陶器の店が並ぶ街を散策した。裏通りにはトンバイ塀と呼ばれる塀からできている住居があった。トンバイ塀とは、登り窯を築くために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具、陶片を赤土で塗り固め作った塀のことである。また、陶山神社も散策した。陶山神社は陶祖李参平が祀られている神社で、江戸時代に有田の統治と 有田焼及び陶工に関する管理を行っていた鍋島藩の皿山代官の指示により造営された数十メートル上の小高い所にある小さな社である。一部の狛犬や灯篭が陶器で作られていた。珍しいことに、この神社の境内をJR佐世保線の線路が通っていた。..また、陶器の店で有名な深川製磁や香蘭社、そして、伝統文化の交流プラザ有田館にも多くの雛人形の陳列があり、豪華な段飾りも見られ、目の保養にもなった。.この後、長崎市の稲佐岳の中腹にあるホテルに向い、午後4時半頃着いた。ホテルで少し休憩の後、明日に観光するグラバー園の近くにある中華料理店で夕食を取り、日が沈んでから冬季に開かれているランタンフェスティバルを観光した。このランタンフェスティバルはもともとは長崎新地中華街の人たちが中国の旧正月(春節)を祝う行事だった長崎ランタンフェスティバルで、1994年に規模を拡大してから、長崎の冬の一大風物詩として 全国的に知られるようとなった。多くの広場に中国風のランタンオブジェや、青森のねぶた風のランタンオブジェが満ち溢れて各会場でいろいろなイベントが行なわれ寒さを吹き飛ばす勢いで、華やかな楽しいフェスティバルであった。とはいううものの、私のような老体には寒さがこたえ、8時半頃退散し、稲佐山(標高333m)の中腹にあるホテルにタクシーで戻った。稲佐山は夜景の名所として知られ、函館の函館山、神戸の摩耶山と共に日本三大夜景とされているが、稲佐山からの夜景は綺麗とは言うものの摩耶山からの素晴らしい夜景とは光量的に比べ物にならないように思えた。
明石海峡大橋 |
瀬戸大橋 |
長崎空港 |
大村湾 |
ツヴィンガー宮殿を模した建物 |
有田陶器の街 |
トンバイ塀 |
陶山神社 |
社殿 |
陶山神社から有田町の眺め |
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深川製磁店内 |
香蘭社店内 |
有田館の陶磁器の雛人形の段飾り |
湊公園のランタンフェスチバル新中華街会場 |
会場のステージ |
ステージ上の龍踊り |
多彩なランタン |
中央公園会場に向かい商店街を移動する竜踊りの竜 |
中央公園会場前のランタンオブジェ |
中央公園会場 |
会場に竜踊り入場 |
竜踊り |
眼鏡橋周辺でのランタン |
眼鏡橋の岸辺の十二支ランタン(手前辰、奥巳) |
眼鏡橋 |
ホテル前からの長崎港 |
ホテル前からの夜景 |
2月17日(水)
朝9時頃ホテルを出発し、終戦時に投下された長崎市の永遠の平和を祈念して作られた長崎平和公園に向かった。31年前の1984年に訪れ、印象に残っている平和記念像に会うことができた。”原爆の脅威”を右手で天を指し、”平和”を左手を水平に伸ばし”原爆犠牲者の冥福を祈る”思いを込め軽く閉じた目の、高さ9.7mの青銅の大きな像がどっしりと鎮座していた。何かすがすがしさをも覚えた。公園もきれいに整備され、平和を願う各国からの彫刻像が多くあり、平和記念像に100mほど離れて対峙して、水を求めた被爆者の痛ましい霊に捧げられる直径18mの「平和の泉」からの噴水に虹が綺麗にかかっていた。この後、グラバー園と大浦天主堂を観光した。グラバー園はグラバー住宅をはじめとして長崎市に深く関係する人の住宅、公共建物の7棟がここに移築されている。旧ウオーカ住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅、旧スチール記念学校、旧グラバー住宅を観光した。この園の主たるグラバーは貿易商であり、グラバー商会を設立し、新しい日本の基礎となる多くの事業に大きく貢献した。そして、ここに住まいを建設したのは1863年である。私が31年前に訪れた時はグラバー邸しか目につかず、当時、他にどのような建築物があったかは記憶にない。このグラバー園からの長崎港含めた長崎市の眺めは素晴らしいものであった。この後、傍にある大浦天主堂に行った。大浦天主堂はカトリックの教会で1865年に建立された日本最古の現存するキリスト教建造物である。外国の大聖堂と比較すると非常に小さな教会であるが、美しく、礼拝堂は落ち着いた風格を感じた。現在は堂内での撮影は禁止されているので堂外から堂内を撮影した。この観光後昼食を取り、ハウステンボスにあるホテルに向かい、途中、カステラの店に寄り、午後3時半ころ着いた。この後ハウステンボスに入場し、夕方の景色と夜の景色を観光した。ひかりの多くの造形が素晴らしかった。しかし、ランタンフェスチバルと同様老体には寒さがこたえるため午後8時前に園内のホテルに戻った。ハウステンボスには1991年に一度訪れている。当時よりも盛況になったようだ。
平和公園記念像 |
1984年時の平和公園記念像 |
彫像 |
彫像 |
平和の泉 |
平和の泉と平和記念像 |
グラバー園からの長崎港の眺望 |
旧ウオーカー住宅 |
内部 |
旧リンガー住宅 |
内部 |
旧オルト住宅 |
内部 |
スチール記念学校 |
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旧グラバー住宅 |
旧グラバー住宅(1984年当時) |
旧グラバー住宅内部 |
同内部 |
同内部 |
正面左からの写真 |
大浦天主堂 |
大浦天主堂外部から内部を撮影 |
外部から望遠 |
1991年の内部での写真 |
長崎市電 |
ハウステンボス |
1991年のハウステンボス、ドムトールン
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ドムトールン |
花時計とアムステルダム広場 |
アートガーデンを望む |
ハート広場 |
フラワーロード(チュウーリップ祭) |
1991年でのウエルカムゲートからフラワーロードを望む |
アートガーデンを望む |
ひかりの滝 |
光と噴水の運河(船が通ると船の下の部分が水面がカラーライトになり、カラーの噴水が上がる |
ひかりのガーデン |
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花時計とアムステルダム広場 |
2月18日(木)
今朝は午前10時にホテルを出発し、福岡県の柳川川下りに向かった。午前12時10分頃柳川川下りの乗船場に到着し、こたつ入りの小舟(「どんこ船」)に一艘当たり14人ほど乗り12時20分頃出発した。冬の季節での川下りは寒さに関して厳しいのではと思っていたが、幸いなことに晴れて日が差していたため、余り寒さを感じなかった。柳川は掘割の川で、川下りの風景としては名の通り川岸には柳の木の並木が多くあるが冬のため葉は散っており緑もなく、街の風情も良い所はなく本当につまらない60分であった。もっと川下りを盛り上げるものが欲しい。川の終点には柳川藩主・立花家の別邸「御花」があり、昼食をこの食事処でとり、その後、池と松などの木々で覆われた美しい日本庭園や屋敷内を散策した。そして、少し離れたところには北原白秋の生家があり訪れた。柳川ではこの時期の雛飾りに「さげもん」が多く綺麗に飾られていた。「さげもん」とは、直径約40cmの紅白の輪に7個ずつ7本、49個の色鮮やかなマリや小物を下げ、中央に2個の大きな柳川マリを下げた、合計51個の飾り物である。飾り物の個数の意味は、終始苦労(四十九)しなくてもいいように、人生50年といわれた時代に少しでも長生きしてもらいたいという親の気持ちも込め、五十一個の飾りを付けたといわれている。江戸時代から始まったといわれている「さげもん」は、昔、城の奥女中が着物の残り布で、琴を弾くときに使う爪を入れる小物や、子どものおもちゃを作り、さげて飾ったのが始まりとされている。この後、午後3時頃福岡空港に向かい、4時半頃空港に到着した。そして、福岡空港から午後6時20分頃出発し、7時30分頃伊丹空港に到着し、その後、無事帰宅した。
柳川川下り船乗り場 |
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川上り船との離合 |
川下り船降り場 |
柳川藩主立花邸内のさげもん飾り |
さげもんとお雛さん |
立花邸庭園 |
北原白秋生家 |
白秋生家のさげもん飾りとお雛さん |
生家の資料室 |
白秋資料館 |
館内 |
館内 |
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