八重山諸島4日間の旅

平成26年12月13日から12月16日にかけて3泊4日で八重山諸島を旅した。29年前にも石垣島を一人で訪れた。

12月13日(土)

伊丹空港に14時に集合し、15時発のJALに乗り、17時25分頃沖縄の那覇空港に着き、ここで、17時50分発のJTAで石垣島に向かい、19時頃に石垣島空港に到着した。その後、石垣島鍾乳洞にバスで行き、鍾乳洞に隣接しているレストランで、夕食をとった。夕食後20時30分頃鍾乳洞の観光をした。ここの鍾乳洞は全長が秋芳洞に並ぶ3.2kmあるそうで、その中の660mほどが公開されています。観光する前はレストランに隣接した小さな鍾乳洞と考えていたが、観光してみると非常に変化に富み興味深い良い鍾乳洞であった。

瀬戸大橋

石垣島鍾乳洞入口

 

 

 

 

 

 

 

 

アミメサンゴの化石

 

 

石垣港出港し、西表島大原港に向かう

12月14日(日)

朝8時頃ホテルから10分余り離れた石垣港に向かった。8時30分の西表島行の高速船(50km/h)に乗り、9時45分頃西表島の大原港に到着した。この間右に竹富島、小浜島、左に黒島を望むことができた。到着後、バスで由布島観光に向かった。そして、西表島の美原から約400m離れた由布島まで水牛車で水深3、40cmくらいの浅瀬を渡った。8分間ほどで渡り終えた。由布島は周囲2kmほどの小さい島で、島には亜熱帯植物楽園があり、園内を散策した。ここで、特に目を引いたのは蝶のオオゴマダラである。アゲハと同じくらい大きいが、綺麗な白に黒の縞模様をしており、幼虫の時は黒く気味が悪いが、さなぎは黄金色をしており、沢山の黄金色のさなぎが木の枝にぶら下がっていた。この後、大原港に近い仲間川のマングローブ観光に戻った。河口から30分ほど両岸に広がるマングローブの林を見ながら遡った。そして、樹齢400年の板根で有名なサキシマスオウノキがある桟橋まで行った。この仲間川のサキシマスオウノキは29年前にも来ており、懐かしい思いがした。この後、河口からすぐ近くの大原港に船でそのまま入り、大原港から高速船で石垣島に戻った。そして、昼食を石垣港近くのレストランで取り、3時頃ホテルに戻った。

石垣島の東部を望む

竹富島と竹富島の後ろに西表島遠望

西表島遠望手前右手に小浜島を望む

大原港から由布島への途中小浜島を望む

美原から由布島に水牛車で浅瀬を渡る

三線を弾く御者

亜熱帯植物楽園

ノボタン

ブーゲンビリア

 

オオゴマダラ

黒い虫がオオゴマダラの幼虫

黄金色のオオゴマダラのさなぎ

 

リュウキュウアカショウビン

水牛車用の水牛達

黒牛牧場

仲間川のマングローブ

 

 

サキシマスオウノキを観光するための桟橋

 

 

樹齢400年のサキシマスオウノキ、樹高20m、幹回り360cm、板根の高さ3m

1985年12月29日の時のサキシマスオウノキ

仲間川の河口

西表島の大原港

12月15日(月)

雨模様の中、午前9時頃ホテルを出発し、オプションの竹富島観光に向かった。竹富島まで20分ほどの船旅であった。島では水牛車で30分ほど街中を回った。水牛車は牛が立ち止る時間が長かったので、自分の足で回った方が良いのではと思い、イライラがたまった。29年前は非常に静かな街中を一人で散策し、竹富島を満喫したが、今回の場合、観光の水牛車で込み合い、人も多く、自転車のレンタルも非常に多く、なんとなく、騒々しい竹富島を味わい、少し、幻滅した。この後、カイジ浜の星砂の浜に行き、1mmほどの星状の星砂を探した。この星砂は有孔虫という生物の殻で、名前は「バキュロジプシナ」とのことである。そして、星砂を持っていると幸福が訪れると言われている。しかし、結局見つけることができなかった。添乗員から小さなビニール袋に入った星砂をもらった。この砂には星砂を見出せた。この後、石垣島に戻り、昼食を取り、午後2時から川平湾観光に向かった。途中、西岸の観音崎の手前にある唐人墓に寄った。この唐人墓は1852年に中国人労働者が中国本土から米国船でカリフォルニアに運ばれる途上、あまりにもひどい扱いを受けたため暴動を起こし、船長ら数人を撃ち殺した結果、船は石垣島沖に座礁した。そこで、上陸した380人の中国人労働者のうちの128人は、米国と英国の厳しい捜索の中で銃殺されたり自殺した。しかし、島民や琉球王国の助けを受けた生存者は無事に、中国本土に帰還することができた。そして、ここで亡くなった中国人労働者を祀るために建てられた。この後、やいま村を観光した。やいま村は広い敷地に石垣島の伝統的な6軒の家屋を移築して保存し、りすざる園なども併設している。この後、川平湾を観光した。オプションでは川平湾でグラスボートで海の魚を見るツアーがあったのだが、その間、私はグラスボートに乗らずに展望台から川平湾をを眺めていた。29年前には非常に美しい川平湾が脳裏に深く刻まれたことを覚えている。今回も同じ景色を楽しんだが、年によるものか昔ほどの感動はなかった。この後、石垣焼窯元に寄った。ここの窯元は油滴天目の釉薬を主にした陶芸で、これに、ウルトラマリンのガラスを器の中心に使い南国の海を上手く表していた。この後さらに染色織物のみやね工房に寄った。そして、みねや工房に隣接しているレストランで夕食を取り、ホテルに戻った。

 

ブーゲンビリア

 

 

 

展望塔から西側の眺め

展望塔から東側の眺め

展望塔の西側の眺め

29年前の展望塔の西側の眺め

星砂の浜 小浜島、西表島遠望

観音崎の手前の海岸、竹富島を望む

唐人の墓

やいま村入口

牧志邸

牧志邸の家中

海人の家の中

森田邸

シートーヤ(砂糖作り小屋)

平久保崎を先端とする半島のような陸地

川平湾

川平湾

 

 

石垣焼

 

みねや工房(染色織物)

みねや工房

12月16日(火)

風の強い曇天の中、午前7時30分頃ホテルを出発し、津波大石を車窓から眺め石垣空港に向かった。そして、9時発の飛行機で那覇空港に10時過ぎに着き、12時30分発の14時40分頃伊丹空港に到着し、15時頃自宅に帰った。29年前に行った時には宮古島にも訪れたが、兎に角29年間という時間は街中などの変化には非常に大きなものがあるが、自然の変化はほんのわずかなものであることを再認識した。

 

 

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