戦後東京の歴史を訪ねる3日間

平成21年2月26日から28日にかけて2泊3日で戦後東京に関係のある場所を訪れた。

2月26日(木)

この旅行はバスツアーで、梅田朝8時に出発し、JR京都駅八条口に寄り、新名神自動車道、東名阪自動車道、伊勢湾岸自動車道、東名自動車道を経て神奈川県の大磯町に3時半ころ到着した。そして、一旦ホテルに行き、その後旧吉田茂邸に向かった。吉田首相は戦後、連合軍と講和条約を締結したことで知られている。また、現政権の麻生首相の祖父であることでも有名である。この旧吉田邸は明治17年に養父吉田健三が別荘として建てたもので、建物そのものは戦後、国賓を招くために新築された。建坪は約300坪あり、2階建て木造であり、一階の応接間には暖炉があり、かつては使用されていた古いソファーや中国から贈られた屏風などが飾られていた。しかし、全体として管理は悪いため、2階などは見学に耐えられないとのことで見学できなかった。現在は西武鉄道が管理しており、神奈川県に移行する交渉が行われているとのことであった。庭は広さは1万坪あり、「心」の文字を表した池と小高い丘から成り、丘の上には吉田茂の銅像が建っており、近くには、七賢堂があり、吉田茂独善による明治以降の七賢人(岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂)が祀られていた。また、門は講和条約を記念した兜に似せた門がある。この観光後、ホテルに戻った。

旧吉田茂邸

旧吉田茂邸

旧吉田茂邸

旧吉田茂邸

旧吉田茂邸(「七賢堂」、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂の七賢人を祀っている)

旧吉田茂邸(七賢堂の内部)

旧吉田茂邸(吉田茂銅像)

東海道松並木

2月27日(金)

生憎朝から雨で、気温も低い中、大磯町の観光に出かけた。ここではボランティアの説明員と町を散策した。この町には東海道松並木が残されていた。この道路を渡り、まず、旧島崎藤村邸(静の草屋)に行った。ここは島崎藤村が亡くなるまで2年半ほど住んだ住居で、140坪ほどの土地に庭を挟んで平屋の母屋(書斎、和室、居間)と離れ(2間の和室)があり、大きくはないが小奇麗な住まいであった。次いで、鴫立庵を訪れた。鴫立庵の入り口の傍らに湘南発祥の地碑があった。この碑も鴫立庵に関係があるようである。すなわち、この鴫立庵は320年以上も前の江戸時代初期に小田原の俳人崇雪が、西行を慕って大磯・鴫立沢のほとりに草庵を建て、その後これが鴫立庵と呼ばれた。そして、西行の歌にちなんで、鴫立沢の標石の裏に「著盡湘南 清絶地」刻まれている。この湘南が湘南の地の由来である。この庵は現在は京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つと言われおり、句会や歌会が開かれている。この庵の庭にはいろいろな有名人の句碑が並んでおり、有髪僧体の虎御前19歳の姿を写した木造が安置されている法虎堂、等身大の西行法師坐像が安置された円位堂そして観音堂などの小さなお堂があり、更に、ここを寺院にする願望が込められているような、五体の石佛像があった。次いで、道路の三叉路の先端にある同志社大学創立者の新嶋襄の終焉の地碑を訪れた。この後、大磯をあとにして、東京都の町田市にある旧白洲邸「武相荘」を訪れた。ここは小田急線の鶴川駅の近くにある。この武相荘は白洲次郎が昭和18年に引っ越してきたが、この場所が武蔵と相模の境に位置したので「武相荘」と名づけられたのと無愛想をかけているとのことである。白洲次郎はイギリスのケンブリッジで学んだこともあり、戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたった。奥さんの白洲正子さんも多才な人として知られている。偶然にも、この訪れた週の土曜日と次週の土曜日に白洲次郎の物語が放映された。この「武相庵」の母屋の見学をしたが日常に使っていたものが展示されており、特に興味を引かれるようなものはなかった。外は霙が降り非常に寒かった。庭には小さな丘があり、広くはあったが、木々の変化は乏しかった。白洲次郎の遺言に「葬式無用、戒名不用」と書かれていたことには興味を覚えた。この後、都内の築地に向かったが、都市高速道の自然渋滞によりようやく2時ころに築地に着き、ここの海鮮食堂で昼食を取り、その後、上野の不忍池近くにある旧岩崎邸に向かった。岩崎邸の敷地は元越後高田藩江戸屋敷跡である。現在の広さは5000坪ほどで、建築家コンドル(鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂などを設計)による洋館と和館そして撞球場があり、それぞれが重要文化財である。洋館の外観は木造の均整の取れた建物で、内装は特に煌びやかな物ではないが、落ち着いた、気品のある明治時代の洋館であった。庭は芝生のみのだだっ広いものであった。この後ホテルに向かった。

島崎藤村旧宅

島崎藤村旧宅(床の間付の書斎)

島崎藤村旧宅(居間)

島崎藤村旧宅

湘南発祥の地碑

鴫立庵

鴫立庵

鴫立庵

鴫立庵(法虎堂、虎御前木像)

鴫立庵(円位堂)

鴫立庵(円位堂西行法師像)

鴫立庵(五智如来像)

鴫立庵(村山古卿句碑)

同志社大学創立者新嶋襄終焉の地碑

旧白洲邸「武相荘」

旧白洲邸「武相荘」

旧白洲邸「武相荘」、庭から障子越しに撮影(内部撮影禁止)

旧白洲邸「武相荘」

旧岩崎邸

旧岩崎邸

旧岩崎邸

旧岩崎邸

旧岩崎邸

旧岩崎邸

2月27日(金)雨上がりの朝、東京の山手線の駒込駅に近い旧古河庭園に行った。この土地は元勲・陸奥宗光の別邸で、宗光の次男が古河財閥の養子になったことから古河家の物になった。ここの洋館と庭園はやはり、ジョサイア・コンドルの設計によるもので、石造洋館で、黒っぽい落ち着いた洋館であった。敷地は10000坪近くあり、洋館の近くには洋風庭園があり、バラやさつきなどがたくさん植え込まれていた。そして、心字池の周りの庭園は純和風庭園で、茶室があり、多くの灯篭が点在して美しい庭園であった。この後、最後の観光地として、文京区の音羽にある鳩山会館に行った。鳩山家は現在の鳩山由紀夫、邦夫に至る4代にわたる政治家家系で、この会館は元総理大臣の鳩山一郎が建てたもので、音羽の丘にあり、美しい石造りの洋館で、内部には鳩山一郎夫妻や威一郎の遺品の陳列室やホール、応接間、英国風サンルームなども見学した。庭もバラやさつきなどの木々が植えられ、一郎氏の銅像、一郎氏の両親の銅像もあり、少人数の園遊会には適した造りであった。11時ころバスで大阪に向かい8時ころ大阪に到着した。今回の旅行は東京の一般観光ルートから少し外れた感のするものであったが、面白いものであった。

旧古河邸

旧古河邸

旧古河邸

旧古河邸

旧古河邸

旧古河邸

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

鳩山会館

 

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