インドネシア5日間の旅
平成26年3月24日(月)から3月28日(金)にかけてインドネシアのジョグジャカルタ、バリ島を巡る旅をした。
3月24日(月)
関西空港に午前10時に集合し、関西空港発正午12時発のガルーダ・インドネシア航空で、インドネシアの首都ジャカルタに向かい、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に午後5時過ぎに(日本との時差2時間)到着し、ここで、乗り継いで午後7時35分発の航空機でジョグジャカルタに午後8時50分頃到着した。そして、午後10時頃ホテルに到着した。到着後ホテルで夕食を取り、12時過ぎに就寝した。今回運良く沖縄を通過するまでは比較的雲が少なく航空機から島を見下ろすことができた。しかし、ヒィリピン上空からボルネオ島までは厚い雲に覆われていた。インドネシアは多くの島からなっており、面積は186万km2で日本の5倍で人口は2.38億人で、イスラム教の国である。通貨は1円が約100ルピアである。
小豆島 |
瀬戸大橋 |
雪の石鎚山山系(左が石鎚山) |
青島 |
日南海岸 |
右が志布志湾 |
佐多岬(下左端)と開聞岳(上部左) |
硫黄島硫黄岳 |
屋久島の北部 |
沖縄県伊平屋島 |
沖縄県宣野座村 |
沖縄県金武湾 |
ボルネオ島Kuala Penyu(コタキナバル60km南西) |
ジョグジャカルタ宿泊ホテルの庭園 |
3月25日(火)
気候は大阪の初夏の気候だが湿度が高く、大阪の初夏より蒸し暑い。午前8時30分頃ジョグジャカルタの郊外にある世界遺産観光に出かけた。途中、東南アジアでは大きな交通手段のバイクが同じように非常に多く見かけられた。そして、稲作は年中可能なため各畑で作付時期が異なり、一方の田んぼでは稲穂が収穫され、他方では田植えの真っ最中であったりしている風景が見られた。また、ヤシの木と田畑の取り合わせの風景も異国情緒を醸し出している。最初の訪れたのはボロドブール遺跡である。ここは世界有数の仏教遺跡で824年の建造と言われているが、その後、約1000年ほどは密林の中で火山灰に覆われていたとのことである。一辺が約115mの方形の基壇で9層の階段ピラミッド構造になっている。高さはもともと42mあったが現在では上部が破損し33.5mである。最上段には完全な無の境地を示す大スツーパがあり、その下には安定した心を表す正方形の窓を持った小スツーパがあり、さらに下には歪んだ心を表すひし形の窓を持った小スツーパがある。これらの小スツーパの中には仏像が安置されている。回廊の壁面には多くの仏教にまつわるストーリーのレリーフが彫り込まれている。見ごたえのある建造物であった。この後、昼食を取り、ろうけつ染めの工房、バティック工房を見学した。次いで、ジャコウコーヒー工房に行った。ここでは、高原にコーヒーを栽培し、ジャコウネコがコーヒー豆の実を食べた後に排泄する便の中のコーヒー豆を加工し、ジャコウネココーヒとして販売している。このジャコウネココーヒーは少し甘みのあるまろやかな味がすることから人気がある。実際に試飲したが、宣伝どうりの味がした。最小単位のコーヒーを土産物として購入したが自分としては高価なものなので、自宅で飲んでいる普通のコーヒーで満足である。この後、プランバナン寺院遺跡を観光した。プランバナン寺院遺跡は古マタラム王国のバリトゥン王による建立と言われており、1549年の地震でほとんどが崩壊し、1937年からの修復工事が現在も行われており、ヒンドゥー教の寺院である。一番大きい中央の神殿「シヴァ神殿」は高さ47mある。「シヴァ神殿」は立ち入り禁止であったが、隣の神殿の内部に入ると牛の石造と神の石造があった。この後、夕食を取り、ジョグジャカルタ空港に行き、午後8時30分発バリ島のデンバサール国際空港に向かい、デンバサール空港(ジョグジャカルタより時差1時間早い)に午後10時50分頃到着し、ホテルに0時頃に着いた。
青空市場 |
田園風景 |
ボロドブール遺跡 |
ボロドブール遺跡(正面全貌) |
ボロドブール遺跡正面右 |
壁面のレリーフ |
壁面のレリーフ |
壁面のレリーフ |
大スツーパ、小スツーパ |
大スツーパ、小スツーパ |
正面上からの眺め |
対角線からの眺め |
稲穂のみを刈っている風景 |
大統領選間近の応援集会に集まる人たち |
大統領選間近の応援集会に集まる人たち |
ろうけつ染め工房の色入れ工程 |
版板による色入れ工程 |
版板 |
染色工程 |
乾燥工程 |
バナナを食べるジャコウネコ |
コーヒー豆の実を食べたジャコウネコの排泄コーヒー豆 |
プランバナン寺院 |
プランバナン寺院 |
シヴァ神殿 |
神殿 |
牛の石造 |
神の石造 |
神の石造 |
壁面のレリーフ |
壁面のレリーフ |
壁面のレリーフ |
レストランからのライトアップされたプランバナン寺院 |
3月26日(水)
朝9時15分頃ホテルを出発し、銀細工で有名なチュルク村に行った。バリ島では村により石造りの得意の村、木工製品の得意の村など村々で得意な分野の製品があり、主要な道路脇に製品を並べ販売している。銀細工の実演を見学し、商品をウィンドウショッピングして、その後ゴア・ガジャ遺跡に向かった。ゴア・ガジャは像の遺跡と言う意味だが、大きい洞窟と言うように考えられている。この遺跡は1923年にヨーロッパ人によって発見された。これは11世紀に造られたと言われている。洞窟内はT形状に掘られており奥行が15mほどで、横方向が25mほどの小さな洞窟である。いくつかの祭壇があり、ヒンドゥー教の神々、ガネーシャやシヴァ、ヴィシュヌが祀られているとのことであるが暗くてよく分からなかった。境内は広く、沐浴場もあり、ここは谷間にあり、熱帯植物で覆われた落ち着いた雰囲気の場所であった。次いで、ティルタ・エンプル寺院に向かった。ティルタ・エンプル寺院は聖なる水の寺院という意味で、バリのワルマデワ王朝(10−14世紀)に建設された。ここには泉から聖水が豊富に湧き出て、大きな沐浴場や錦鯉などが泳ぐ池などがあり、実際に沐浴をしている人がいた。この泉は聖峰アグン山に降った雨による。この後、キンタマーニ高原に向かった。キンタマーニ高原は標高1717mのバトゥール火山の外輪山の尾根伝いにある標高1500m以上に位置した高原で、カルデラ湖のバトゥール湖があり、湖の向こうには外輪山の一部である標高2151mのプヌリサン山が望め更に遠くにはバリ島で一番高い聖なる山、標高3031mのアグン火山が望める。気温も下界とは比較にならないほど快適な気候である。ここで、綺麗な景色を満喫しながら昼食を取った。この後、テガラランの棚田を観光した。ここは綺麗な段々畑で、特に日本の段々畑とは違う景色が楽しめた。すなわち、緑色が満ち溢れ、ところどころには非常に背の高いヤシの木あり、本当に美しい光景であった。この後、少しレベルの上の家庭を訪問した。先祖を祀る広場があり、広い敷地であったが、余り自分としては特に興味は引かなかった。この後、ケチャックダンスの鑑賞にに出かけた。ケチャックダンスは多くの男性の声から発せられる独特な掛け声とこれに合わせて踊られる舞踊劇である。劇の荒筋が日本語で書かれたパンフレットが配られるので良いが掛け声が単調であるためあまり興味が沸かなかった。約1時間後、夕食を取った。この夕食の時も女の人による舞踊が披露された。夕食後ホテルに戻った。
ホテルの玄関前 |
石造り製品 |
凧揚げ製品 |
村のお寺 |
木工製品 |
ゴア・ガジャ遺跡途中の出店 |
手前に沐浴場奥に洞窟入口 |
沐浴場 |
洞窟入口 |
洞窟内 |
洞窟内 |
帰り途中から境内を見下ろす |
ティルタ・エンプル寺院 |
沐浴場 |
寺院境内 |
湧き出ている聖なる泉 |
境内内 |
プヌリサン山とバトゥール湖 |
バトゥール火山 |
プヌリサン山とアグン火山 |
バトゥール火山、プヌリサン山、バトゥール湖、アグン火山 |
テガラランの棚田 |
テガラランの棚田 |
民家 |
民家 |
ケチャックダンス |
ケチャックダンス |
ケチャックダンス |
ダンス |
ダンス |
3月27日(木)
今日はバリ滞在の最終日でオプションツワーにも参加せず午後4時のホテル出発までゆっくり過ごし、その間ほとんど人がいないビーチを少し散策した。そして、午後4時過ぎに早めの夕食を取り、タナロット寺院での夕日観賞に出かけた。あいにく、沈んでいく方の空は雲が厚くかかっていたので水平線上の夕日は見ることはできなかったが、夕焼けのタナロット寺院を眺めることはできた。タナロット寺院は16世紀にジャワの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがこの地を訪れ、この景観こそ神々が降臨するにふさわしい場所として、村人に海の守護神を祀る寺院を建てるよう勧めたのがはじまるということである。確かに美しい景観であった。その後、デンバサール国際空港に向かった。
デンバサール21時45分出発し、ジャカルタに22時45分到着し、3月28日(金)1時ジャカルタを出発し、関西空港に9時55分に到着し無事帰宅した。
ホテルのビーチからの眺め |
ホテルのビーチからの眺め |
タナロット寺院の入口 |
タナロット寺院の反対側の岬 |
タナロット寺院の島 |
タナロット寺院の島 |
タナロット寺院を眺めた岬 |
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