タイ6日間の旅

平成25年1月24日(土)から1月29日(木)にかけてタイのバンコク、アユタヤ、チェンマイ三都巡りの旅をした。

1月24日(木)

関西空港に午後3時に集合し、関西空港発午後5時発のタイ国際航空で万国に向かいバンコク国際空港に午後9時30分頃(日本とタイとの時差2時間)到着し、ホテルには午後11時頃着いた。外は蒸暑かった。ホテルに向かう途中の市街には夜遅くまで多くの人が出歩いており、食事の出店が多く目についた。ガイドの説明ではタイの一般家庭では夫婦共働きが多いため家庭内で食事を取ることは少なく、外で取ることが多いため、屋台店のような出店が多いとのことである。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

空港からホテルに向かうバスの中から

朝の通勤時のバンコク市内

1月25日(金)

朝8時頃ホテルを出発し、市内観光に向かった。通勤時のためバイクや自動車で道路上は溢れており、いたるところで渋滞していた。バイクはかつてのベトナム観光時ほど多くはなく自動車の多さが目立った。最初にワット・アルンを観光した。王宮広場の近くのターティアンの船着場からチャオプラヤー川の対岸にあるワット・アルンに船で渡った。ワット・アルンは「暁の寺」の意味で、アユタヤ王朝時代にはすでにあり、現王朝の前のトンブリー王朝時代には、王室寺院とされていた。その後バンコク王朝では王室寺院ではなくなったが、ラーマ2世の特別な保護を受け増築され、今の姿になったと言われている。本堂には多くの石像と本尊の台座の下にはラーマ2世の遺骨が納められているとのことであるが、境内は広く、多くの建造物があり、時間の関係上本堂には入らず境内にある5基の仏塔のうちの一番大きな仏塔(大仏塔)を巡った。この仏塔は高さは75m、台座の周りは234mもあり、側面一面にレリーフが施されていた。また、ヒンドゥー教の影響を受けて建てられているため、上部にはヒンドゥー教のエラワンという象の上に座っているインドラという神様の像が鎮座している。他の4つの仏塔はこの大きな仏塔の周囲を囲むように建てられていた。この大仏塔は中途まで急な階段があり、階段を登り、周囲を見渡すことが出来た。再び、船で王宮広場側に渡り、ワット・ポーを観光した。ワット・ポー(涅槃寺)はアユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(1688〜1703年)に建立されたといわれる、バンコク最古の寺院である。そして、バンコク王朝のラーマ3世(1824〜1851年)は17年をかけて長さ46m、高さ15mの金箔で覆われた涅槃像を祀る本堂とその回廊、礼拝堂、71もの仏塔を建立させた。本堂にはお釈迦様にまつわる言い伝えやインドから伝わった古典文学のラーマヤナなどを描いた壁画が描かれている。涅槃像は見る人を圧倒するものであるが、余りにも近くからしか見れないためじっくりと眺める余裕がなかった。壁面の壁画も近すぎるためほとんど見るほど余裕がなかった。この後、昼食を取り、ワット・プラ・ケオを観光した。ワット・プラ・ケオは通称エメラルド寺院で知られており、1782年、ラマ1世が現在の王朝であるチャックリー王朝を開いたときに護国寺として建てた寺院である。敷地内の黄金の仏塔には仏舎利(仏陀の遺骨)が納められており、ワット・プラ・ケオはタイで最も美しく、きらびやかな寺院と言われている。エメラルドブッダが季節に合わせ年3回衣替えするとのことである。この後、午後5時頃ホテルに戻り、少し休憩し、夕食は外のレストランで取った。大阪の夏に近い蒸暑さのため疲れた。どの寺院も金箔の仏像や仏塔で煌びやかであるが、なぜかじっくり眺めていたいと言う考えにはなれなかった。タイの人々は仏像に心から拝み信じ深いことは分かるが、私にはなぜか空虚に思えた。

チャオプラヤー川の船上からワット・アルンを望む

ワット・アルン

大仏塔

大仏塔の階段とレリーフ

大仏塔よりチャオプラヤー川の対岸王宮を望む

大仏塔より境内の多くの建造物を望む

ワット・ポー

本堂の壁画

本堂の涅槃像

足元からの涅槃像

足元からの背面の涅槃像

礼拝堂の仏像

ワット・プラ・ケオの入口広場

回廊

仏舎利塔(左、プラ・スイーラッタナ・チューディー)、右、プラ・モンドップ

左手建物、エメラルド仏が安置されているエメラルド仏寺院の本堂、右ホー・プラ・ラチャポンサーヌーン

エメラルド仏(内部での写真は禁止なので外から望遠で撮る)

王宮への途中の建物(アマリン・ウイニチャイ殿)

左ドズスィーダー・ピロム堂、中央、チャックリー宮殿、と右アポーンピモーク館)

チャックリー宮殿正面

バンコク市内の高層建築

アユタヤへの途中の高層住宅

1月26日(土)

今日も暑い中、8時頃ホテルを出発し、古都アユタヤに向かった。アユタヤはバンコク北約60kmのところにあり、8万人ほどの都市である。途中、高層住宅があり、2期作の米の穀倉地帯があり、川岸には水上住宅もあり、洪水対策の高床式住宅も見られた。午前9時半過ぎにアルタヤのバンパイン離宮に着いた。バン・パイン離宮はアユタヤ王朝第26代プラサート・トーン王によって築かれた夏の離宮を現王朝のラマ4世と5世が再建した。この離宮には大きな池を中心に一般公開されている1889年築の中国風建築のプラ・ティナン・ウェーハート・チャルムーンや、タイ様式で造られた美しいパビリオン(プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト、ラーマIV世が1876年に建てた)や、宮殿、キリスト教会のような姿の仏教寺院など、多彩で優雅な建築物がある。静かで、のんびりくつろげる所だ。昼食後、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンを観光した。ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院で、別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」という。この寺でひときわ目立つ高さ72mの仏塔は、1592年に19代ナレスアン王が象にまたがり一騎打ちでビルマ王子を敗り、ビルマ軍との戦いに勝利した記念の塔である。この後ワット・プラ・マハタートを観光した。ワット・プラ・マハタートは菩提樹に囲まれた仏塔で有名な寺院である。1374年に3代目王のボーロマラーチャー1世が建立し、1767年にビルマ軍によって壊されるまでは、工事や修復作業が続いていたと言われている。ここには40m以上の仏塔が建っていたが、今は土台だけが残っている。ここで、特に注目を引くのは菩提樹(タイの聖なる木、トンポ)の中に包まれた仏さまの顔である。ここは、ほとんどが破壊されているが、壮大な遺跡として残されている。次いで、ワット・プラ・シー・サンペットに行った。ワット・プラ・シー・サンペットはアユタヤ時代の代表的な寺院で、規模としてはアユタヤ最大級であったと言われており、15世紀に王宮専用の寺院として建てられた。しかし、1767年のビルマ軍の侵攻により崩壊され、現在はバンコクに王朝が移ってから再建された仏塔が残っている。この後、ホテルに5時半頃帰った。

川岸の水上生活

2期作の稲作栽培

バンパイン離宮(左手プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト)

プラ・ティナン・ウェーハート・チャルムーン

拝殿口

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔

涅槃像

本堂前の仏像

仏塔

仏塔側面

仏塔側壁沿いの仏像

仏塔からの眺め

仏塔からの眺め

ワット・プラ・マハタートの菩提樹に包まれた仏の顔

巨大仏塔の台座

 

傾いた壊れた仏塔

ワット・プラ・シー・サンペット

宮殿のような柱の跡

多くの仏塔がある大きな寺院

 

 

 

1月27日(日)

ホテルを朝6時に出発し、バンコク発8時の航空機でチェンマイに9時15分頃到着し、チェンマイ観光に出発した。チェンマイはバンコクより温度が4、5度低いため快適に観光できた。チェンマイはバンコクの北方約720kmに位置するタイ第2の都市であり、1296年にランナー王朝初代メンラーイ王により新しい首都としてピン川のほとりに建設され、タイ北部の言葉で「新しい街」と名づけられた。この周辺はタイ最高峰ドイ・インタノンをはじめとした峰々が重なる緑豊かな山岳地帯となっており、多くの山岳民族が住んでいる。チェンマイで最初にワット・スワン・ドークに行った。ワット・スワン・ドークは1383年にクーナー王によって、ラーンナー・ライ王宮殿に建立された寺院で、本堂の中に納められた青銅の仏像は、500年を経た現在でも国内で1、2位の大きさを争うと言われている。また、境内に点在する歴代の王の遺灰を納める白い仏塔も有名で、ステープ山を背景にした夕暮れ時のこの仏塔の光景は、スアン・ドーク(=花園)の名前にふさわしい美しさと言われている。現在本堂の屋根は修復中でシートで覆われていた。次いで、ワット・プラシンに行った。ワット・プラシンはチェンマイ市内で最も大きい寺院で、ランナー王朝第5代パユ王(1336〜1355年)によって建立され、リーチェンプラ寺院と呼ばれていたが、後に第7代王のセーンムアンマーがチェンライからプラシン仏像を迎え入れてからは、プラシン寺院(獅子の寺)として市民の間で親しまれるようになった。幅31inch、高さ51inchの仏像は現在、奥にある「ウィハーン・ラーイカム」というこぢんまりとした礼拝堂内に祀られている。お堂の壁には色とりどりの壁画が施され、見どころのひとつとなっている。次いで、ワット・チェーディー・ルアンに行った。ワット・チェーディー・ルアンは1391年、メンラーイ王朝第7代セーンムアンマー王(1383〜1402年)が亡くなった父を偲んで建立したと伝えられる、チェンマイで最も大きな(ルアン)仏塔(チェディ)のある寺院。仏塔は、創建当時で高さ約80m、四角いかたちをした基壇の一辺も約60mと巨大なもので、チェンマイ市の真ん中にそびえ立っている。当時の王は仏教の宇宙観に従って、都の真ん中に須弥山(しゅみせん)に擬えた大きな仏塔を置き、それを囲うように8つの方向にもひとつずつ寺院を建立すると、王朝の繁栄がもたらされると信じていたとか。現在の仏塔は1545年の大地震で先が壊れ、後に文化庁が現在のかたちに修復した。入り口付近に建つ本堂は、ランナー様式の仏像が数多く祀られている。境内には、他にもさまざまな建物がある。この後、ワット・チェン・マンに行った。ワット・チェン・マンは1296年、メンラーイ王によるチェンマイ創都の時に建てられた寺院で、かつては王の宮殿として利用されていた。本堂にはソンクラーン祭りに登場する大理石の仏像「プラ・シーラー・カオ」と水晶の像「プラ・セータン・カマニイー」が安置されているとのことだが、中には入らなかった。基部を15頭の象に支えられた仏塔も面白い。昼食後、ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープを観光した。ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープはランナー王朝の初代の王のメンラーイ王が都(チェンマイ旧市街)を建設した1296年に建立したチェンマイ最古の寺院である。この寺は旧市街地の北西にそびえる標高1080mのステープ山頂にあり、バスで寺院門まで行き、礼拝堂へは348段の階段があるが、これの代わりにケーブルカーがあり、ほとんどの人はケーブルカーを利用している。仏舎利を納めた高さ22mの金色のチェディ(仏塔)が美しく、またチェンマイ市街を一望できる展望台にもなっていることから、この寺院への参拝をなくしてはチェンマイを訪れたことにならないとさえ言われており、多くの参拝者で賑わっていた。この後、一旦ホテルに行き、休憩した後、6時頃ナイトバザールに向かった。本当に多くの多種多様の出店がでていたが、自分には特に興味をそそるものではなかった。この後、8時頃から1時間、ご当地の素朴な舞踊を見ながら食事を取るカントークディナーショーで楽しんだ。

ワット・スワン・ドーク(沢山の白い仏塔が見える)

仏塔と改修中の本堂

本堂の黄金の仏像坐像、この裏側には更に高い立像があるが工事のため見ることが出来なかった

ワット・プラシン本堂

 

左写真の左のお堂の内部

上写真のお堂の内部

左上写真の右のお堂の内部

上右写真の裏側

境内の出店

ワット・チェーディー・ルアンの本堂

崩れている巨大仏塔

巨大仏塔の中の仏像

 

 

左写真の内部

涅槃像

ワット・チェン・マンの本堂と象が支える仏塔

お堂

お堂の内部

お堂内部の壁画

お堂内部の生まれ曜日の守り仏

ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープ

 

展望台からの眺め

 

 

仏塔の周りを唱えながら回る人々

 

大理石の仏像

 

ナイトバザール

ナイトバザール

カントークディナーショー

 

 

 

 

 

 

1月28日(月)、29日(火)

朝8時半ころホテルを出て市内からバスで30分ほどに位置する山の麓のメーサー・エレファントキャンプへ行った。メーサー・エレファントキャンプは1976のオープン以来、象の調教から保護までを担うキャンプで、象とのふれあいや、川での象の水浴び風景、象のサッカーゲーム、象による絵描きショーなどを楽しみ、その後、象に乗り起伏のある山道を30分ほど散策して楽しんだ。この後、ミヤンマーから非難してきた首長族や耳輪族が住んでいる村に行った。ここでは村人が作った工芸品の販売が行われており、更に入場料が800バーツを必要とした。この後、オーキッド・ファームで昼食を取り、かさ作りの工房ポー・サンと絹織物の工場の見学を行い、午後5時頃夕食を取ってチェンマイの空港へ行き、チェンマイ発20時50分の航空機でバンコクに22時10分頃着き、乗り継いで、バンコク発23時15分の航空機で関西空港に29日の朝6時25分頃関空に到着し、家路に着いた。

象とのふれあい

象の水浴び

 

 

象の絵描き

象に乗って散策

首長族村

首長族の手織り

住居

首長族の子供

耳輪族の手織り、耳たぶに輪をはめている

傘作り

傘干し

山蚕

黄色い蚕の繭

 

 

 

 

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