インド9日間の旅    

平成23年2月12日(土)〜2月20日(日)にかけてインドを旅行した。今回はシングル参加である。今回の参加者は21人であった。

2月12日(土)

エアインディア航空で関西空港発午後1時15分に出発し、香港に午後4時35分頃到着し、機内待機し、午後6時に香港を出発し、インドのデリーに午後9時30分に到着し、ホテルに午後10時30分頃着いた。日本とインドとの時差は3.5時間である。服装は長袖シャツにウインドブレーカである。出来るだけ軽装でと思い、日本を出る時はウインドブレーカの下に厚い目のベストを着て、春用のズボンをはいていた。

2月13日(日)

ホテルを午前8時頃出発し、デリー市内観光に向かった。インドは日本の国土の約9倍で、人口は10億以上もあり、古代4大文明の一つである。そして、国内には多くの歴史的世界遺産があり、気候も宗教も言語も地域により大きく異なり、いろいろな面で変化に富んでいる。この国の首都がデリーである。デリーは人口1280万人で、ムンバイ、コルタカに次ぐ巨大都市である。人の話で牛が街の中を悠々と闊歩しているのんびりとした雰囲気の国と思っていたが、見てみると大きな違いで、牛が確かに勝手気ままに街中を歩いているが、これはまさしく放浪しており、野良牛に等しい状態で、写真のようにごみの中から食べ物をあさっている状態であることがわかった。街並は東南アジアの国々でよく見かける風景である。まずはじめにクトゥブ・ミナールに行った。クトゥプ・ミナールはインドに現存する最古のイスラム建築で、12世紀末にクトゥブディーン・アイバクがヒンドゥー教徒に対する勝利を記念した建て、その後、後継者が増築して現在に至る。塔の高さは72.5m、底辺の直径は14.5mあり、一際目立っており、美しい塔である。外壁にはコーランの文句を図案化したものが刻まれている。そして、後継者が現存している施設跡を増設した。このそばにはインド初のモスクと言われるクワットゥル・イスラム・モスク址があり、これは破壊したヒンドゥー寺院の石材が使われた。ここにはイスラムでは認められないガネーシャ神などの像がある。更に未完成に終わったアライ・ミナールがある。そして、更にここにはヒンドゥー教の忘れ形見の高さ7、2m鉄柱がある。全体が赤砂岩で出来ており、インドの大地を現しているようだ。この後、フマユーン廟に向かった。フマユーン廟は庭園の中に廟を置く形式の建物でムガール帝国の第二代皇帝フマユーンの廟でフマユーン妃が1565年に建設したイスラム建築で、後にタージ・マハール建築にも影響を与えた。赤砂岩に白大理石をはめ込んだ外壁を持ち、お互いの色を引き立たせたシンプルで左右対称の均整の取れた美しい建築物である。次いで、レッド・フォートに向かった。途中、第一次世界大戦のインド兵戦没者慰霊碑のインド門を車中から眺めることが出来た。また、公園ではクリケットを楽しんでいるのを多く見かけた。レッドフォード(ラール・キラー)は赤砂岩で出来ていることから「赤い城」という意味で名づけられている。これはヤムナー河を東にした城で、ムガル朝第五代皇帝シャー・ジャハーン(タージ・マハールを造った皇帝)により、1639年から1648年にかけて建設された見るからに堂々とした頑強そうに見える城である。ここは外観を眺めるだけに終わった。そして、民芸品店に寄り、昼食後デリーから南東に200kmのところにあるアグラに向かった。街にはリンタクや三輪タクシーがあふれており、スラム街も多く目に付いた。民主主義国家でありながら、カースト制度が根強いため、貧困が目立ち本当に全体として均整の取れない混沌とした社会である。アグラには午後6時頃到着した。インドの道路事情は悪く、一応、アスファルト舗装はされているが、道路幅も狭くでこぼこ道が多く、バスも乗り心地の良い車両ではないので、更に乗り心地の非常に悪い状態でのバス移動である。バスが州の境界を越えるとき州交税を支払う必要があり、係員によっては行動が遅く数十分もかかる場合がある。インドへ来て目に付いたのが綺麗な緑色したインコが多く飛び交っていたことである。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

ゴミをあさる牛(野良犬が遠慮している)

仕事先に向かう人々

クトゥプ・ミナール

モスク跡

左の門の右端に見える鉄柱はヒンドゥーの忘れ形見

回廊の柱には顔のレリーフが彫られている

 

インコ

未完成に終わったアライ・ミナール(直径25m)

フマユーン廟

 

側近の墓石(地下に墓がある)

廟内と墓石(地下に墓がある)

ドーム(八角の上に半球ドーム)

インド門(第1次世界大戦の戦没者慰霊碑)

公園でクリケットで遊ぶ

レッドフォード

レッドフォード城壁

客を待つリンタク

民芸品店

信号待ちの三輪タクシーとビル

ガンジー像

そこここにスラム街

タージ・マハルの東門

2月14日(月)

アグラ市内観光に出掛けるのに当初は8時出発と言われていたが、朝にマラソンが行われ、街の道路に交通規制がかかるため、ホテルを早めの7時15分頃出発した。アグラは人口140万人の小さな都市である。ここはなんといってもタージ・マハルがあるので有名である。そこで、まず、タージ・マハルに行った。タージ・マハルはヤムナーの川岸にあり、インド・イスラム建築の最高傑作のひとつと言われ、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハルの墓である。1631年から膨大な費用を使い20年以上もかけて造られた。高さ50mほどの大ドームが中央にあり、その四隅にミナレット(尖塔)を備えており、内部の大広間の中央には王妃の墓石がある(写真禁止である)。そして、傍らには王の墓石のイミテーションがあり、遺体を安置した真の墓石はその直下の地下室にある。確かに均整の取れた美しい白亜の建物である。写真としては惜しむらくは、空気がモヤっており、コントラストが悪かった。このドーム内に入るには土足は厳禁で、靴の上にビニールの上履きをつけなければならなかった。タージ・マハルからのヤムナー川の見晴らしは良く浅瀬には多くの鳥が群れていた。ついで、アグラ城に行った。アグラ城はヤムナー川岸にあり、タージ・マハルから川沿いに西北西4kmにある。1565年にアクバル帝がムガル帝国の権力を誇示するために造られた。ここの城壁も赤砂岩で造られており、堂々としたものである。また、その中に大理石の美しい建物も多く建てられている。この後、大理石店に寄り、昼食後ファティープル・シークリーに向かった。ファティープル・シークリーには近くまで観光バスで行き、ほんの少しの距離だが、更にシャトルバスに乗り換えてさらに近くまで行った。ファティープル・シークリーはアグラから南西約40kmのところにあり、アクバル帝の城址で、「勝利の市」を意味している。この地に住む聖者の予言により男児を得たアクバルが聖者にあやかろうとして1571年にこの地に遷都したが、水不足のため14年後に立ち退いてしまった。建物はインド古来の建築様式や技法が反映され、イスラムのアクバル帝が諸宗教に配慮した形式を採っている。建物はやはり赤砂岩で造られており、シンプルな様式に見えるが、細部には細密な彫刻がなされており、美しい建造物であった。この後、ホテルに午後6時頃戻った。

南門

南門からのタージ・マハル

タージ・マハル

タージ・マハル

タージ・マハルを正面真下から望む

タージ・マハル内部(内部は撮影禁止、外部から)、柵の下に墓石

タージ・マハルの北側のヤムナー川

ヤムナー川の野鳥1

ヤムナー川の野鳥2

ヤムナー川の野鳥3

タージ・マハル廟の傍にあるモスク

アグラ城門(アマル・シング門)と城壁

ジャハンギール宮殿(第4代皇帝)

 

公謁殿(ディーワーニ・アーム)

 

後宮(ゼナーナ)

東南東のタージ・マハルを望む(右端)

北を望む、左のバルコニーがある塔の一角がシャー・ジハーン帝が幽閉されたジャスミンの館

 

餌に集まるりす

大理石店

ごみの中で餌をあさる牛と日干しの円盤状の牛の糞

ファティープル・シークリー内で赤砂岩を補修用に加工している

 

 

 

 

側室の後宮

 

宮廷地区(五層閣)

集落

バザール

家の前で飼われている牛

早朝の雨の中、物乞いの子供たち

プラットホームの売店

2月15日(火)

朝7時頃ホテルを出発し、アグラ駅発8時17分ボパール行きの列車に乗るべくアグラ駅に向かった。しかし、インドの列車の発車時刻は当てにならないもので、結局1時間遅れの9時25分に出発し、ボバールに午後3時15分頃着いた。

地方の集落

ボパールのホテルからの夕日

すでに上っている月

野営のようなテント生活の人達

2月16日(水)

朝8時頃ホテルを出発し、ボパール北東にあるサンチーの仏教遺跡に向かった。ここは標高100m足らずの丘にストゥーパ、仏堂、僧院跡がある。まず、第1塔のストゥパーはアショーカ王(紀元前268−232年在位)が基礎を造り始め紀元前2〜1世紀に完成した。基壇はインドの典型的な仏塔型でほぼ完全な姿を残す最古のものである。この塔の四方にある門(トラーナ)にはブッダの生涯と前世の物語や動植物や守護神などの彫刻が彫られており、興味深かった。第2番目の塔は西へ320m下りたところにあり、丘の中腹にある。この塔が大きい3塔のうちで一番古いと考えられている。第3番目の塔は第1の北側のすぐ傍にあり、直径は15mである。この後、昼食後ビーンベトカ ロック・シェルター群に向かった。ここは現存する人類最古の絵画、洞窟壁画跡の一つである。天然の赤としろの塗料が使われており、1万2000年前まで遡ると言われている。ここ一帯には642の岩窟があり、400近い壁画がある。一つの壁面に複数の時代の人が描いており、動物を中心にした生活の情景が描かれている。古い未熟な絵や比較的新しいしっかりした絵が混在している。全体として物珍しく、面白さは大いに感じた。この後ボパールに戻り、ホテルに午後6時頃到着した。

レンガ焼成

麦畑と菜の花畑

サンチーの仏教遺跡の大ストゥパー(右第1塔、左第3塔)

大ストゥパー第1塔(直径36m、高さ16m)

第1ストゥーパと門

大ストゥパー第2塔(直径14m)

僧院跡第40

僧院跡第45

崩れた小ストゥパー 

羊の群れ

派手なマンション

このような侵食された岩山が多くある。

第1窟、象や狩人など

第3窟赤い色で牛など

 

 

 

 

第4窟

 

 

第8窟「王に率いられた騎馬兵達」を描いていると言われている

第12窟狩の様子

第15窟巨大な雄牛に追われる人々

 

 

2月17日(木)

朝6時頃ホテルを出発し、ボパール駅発7時ブシャワル行きの列車に乗るべくボパール駅に向かった。しかし、今回もインドの列車の発車時刻は当てにならないもので、結局2時間20分遅れの9時20分に出発し、ブシャワルに着いたのが午後3時40分頃着いた。このため、アジャンタ石窟行きの予定が行けなくなり、180km離れたオーランガバードのホテルに直行し、午後7時30分頃着いた。アジャンタ石窟は途中にあり、結局、近くを通り過ぎたのは午後5時30分頃であった。このため明日にアジャンタ石窟とエローラ石窟を回ることになった。

2月18日(金)

当初の予定より早く朝5時30分頃ホテルを出発し、まず、エローラ石窟群観光に向かった。そして、6時40分頃にエローラ石窟に着いた。まだ、日は明けてはいなかった。エローラ石窟はオーランガバード西北約25kmのところにあり、丘の上約2kmに渡り仏教、ジャイナ教の石窟があるインドの代表的な遺跡である。南端の第1〜12窟は仏教窟で7〜8世紀頃造られ、ほとんどがヴィハーラと呼ばれる僧院である。最も大きなものが第5窟のマハルワダで、第11、12窟は随所にヒンドゥー教の影響を受けたスタイルである。そして、末期の仏教窟の特徴である女性像などの密教系尊像が見られる。また、第13〜29窟はヒンドゥー教窟で、9世紀に造られ、ヒンドゥー教の神々が祀られている。中でも重要なのは第16窟のカイラサ・ナータ寺で、幅45m強、奥行き85m弱の岩山が削られて造られた寺院である。北端の第30〜34窟はジャイナ教窟である。堂内は土足厳禁である。この後百数十km離れたアジャンタ石窟群に向かい、2時間ほどでアジャンタ石窟群に着いた。石窟までにはシャトルバスを使い、更に階段を百数十段登る必要があった。そこで、足に自信のない人は4人で担ぐ椅子が有料で使われていた。

 

第9〜5窟を望む

第5〜1窟を望む

 

第5窟内の仏像

第5窟内の仏像

第9窟

第8〜6窟

第10窟

第10窟内にはストゥパーがあり、アーチ型の天井(暗くて上手く撮れていない)

 

第12窟

第11窟

 

第16窟

 

 

 

 

尾の長い猿

第29窟

 

 

 

 

第32窟

 

 

 

 

 

 

 

 

散髪屋

アジャンタ石窟に近づく

アジャンタ石窟群は仏教石窟で、19世紀はじめ、虎狩りのイギリス仕官再発見された。この石窟はワゴラー川の浸食により大きく湾曲した断崖の南壁に大小30ほどの石窟があり下流の東端から順次番号が付けられている。これらの石窟のうち、第8,9,10,12,13,15Aの6石窟は紀元前1世紀から紀元1世紀ころに造られ、「第1期窟」と呼ばれ、残りの石窟は「第2期窟」と呼ばれ、5世紀後半から造られ、7世紀前半までのものと見られている。そして、アジャンタ石窟寺院は僧院窟(僧坊)と祠堂窟(礼拝堂)からなり、第9、10、19、26、29窟を除いた石窟は僧院窟である。祠堂窟にはブッダの象徴であるストゥーパ(仏塔)がある。そして、このうちで壁画が沢山残っているのは第1,2,16,17窟である。紀元前後まで遡る仏教絵画最古の遺品の第9、10窟の壁画もすばらしい。これらの壁画の内容はブッダの生涯、前世物語(ジャータカ)、比喩物語である。また、天井には動植物を主として装飾文様が描かれている。石窟内は土足禁止でフラッシュも禁止であった。そして、堂内はほんのりと明るいだけなので、私のデジカメで撮るにはセルフタイマ2秒を使い撮影して、何とか見れるものが撮れた。色彩壁画はすばらしい。この後、オーランガバードに戻り、市内にあるビービー・カ・マクバラ廟を観光した。ビービー・カ・マクバラ廟は第6代皇帝アウラングゼーブの第一王妃ディルラス・バヌ・ベグムの霊廟で1661年にタージ・マハルをモデルにして造られた。デカン高原に残る唯一のムガル建築である。タージ・マハルと比べると劣るように思える。この後、オーランガバード空港に行き、18時頃ムンバイに向けて出発し、19時頃到着し、ホテルに19時30分頃着いた。

尾の長い猿

アジャンタ石窟群(入り口から望む)

第1窟

蓮華手菩薩(よく見る絵である)

金剛手菩薩

天井絵

正面全体

第2窟入り口近くの天井

千体仏像絵

正面全体

第4窟入り口

 

 

 

第6窟

 

 

第7窟

 

第9窟

ストゥーパ

 

第10窟ストゥーパ

第16窟

 

第17窟

 

 

 

シンハラ・アヴァダーナ(アヴァダーナは比喩物語)

釈迦が「六牙象」であったときの話

第19窟

ストゥーパ(無仏像時代の仏塔崇拝から仏像崇拝への移行期の様式)

第20窟

 

第1窟の方を望む

第26窟

ストゥーパ

 

 

涅槃像

テント生活

 

ビービー・カ・マクバラ廟の門

ビービー・カ・マクバラ廟

 

 

廟内

廟内

廟におまいりする子供たち

2月19日(土)

ホテルを7時20分頃出発し、インド門に向かった。途中、10年かけて造られ1888年に完成したチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅の近くから写真を撮った。遠くから眺めるだけであるが、非常に荘厳なゴシック建築の宮殿か教会のような建物であった。この後、インド門桟橋に向かった。インド門桟橋に到着後、海に面して建っているインド門を眺めたが、門の前の広場にはイベントのための囲いができており、インド門のすぐ近くまでは近寄れなかった。このインド門は1911年イギリスの国王ジョージ5世がインドに来た事を記念して建てられた。そして、この門前の広場では1947年インド独立の時、イギリス軍が最後の閲兵式を行った。そして、8時20分に小さなチャータ船で桟橋を出発し、エレファンタ島に9時15分に到着した。そして、エレファンタ石窟群に向かった。石窟は高さ200mの岩山の頂上付近にあるため、中にはかごを頼んで登る人もいた。ここの石窟の規模は小さく、7窟あり、これらはヒンドゥー教の石窟寺院で、石窟は6〜8世紀に造られ、多くのすばらしい彫刻があるが、すべてシヴァ神が祀られている。ここでの主は第1石窟で、奥の中央には544cmの大きなシヴァ神3面上半身像がある。大半の石窟は未完の物か壊れているものである。この後、12時20分に再び船に乗り、インド門桟橋に12時20分に到着した。そして、昼食をレストランで取り、2時30分頃ムンバイ空港に着いた。

予定より1時間ほど遅れ午後6時30分頃エアインディア航空でムンバイを出発し、デリー空港に午後8時45分頃到着した。この後、デリーを午後12時頃出発し、2月20日(日)香港に午前7時15分頃に到着した。そして、香港を午前8時20分に出発し、午前12時10分頃に関空に到着した。インドの世界遺産への興味を覚えた旅ではあった。

今回の旅行での自分としての心配な点は衛生面で、生水や生野菜には手を出さないようにした。そして、乾季のためか蚊の発生についてはあまり心配ではなかったので、マラリアなどの病気は心配はなかった。ただし、ホテルでは蚊の駆除用の電気蚊取りが使われていた。食事はよいホテルでも辛いものか少し粗末なものしか出なかった。暑さに関しては今回旅したところではやはり、南へ行くほど暑くなり、ムンバイが今回では一番暑かったが、長袖のシャツで十分快適であった。とにかく行く前に少し心配していた健康面では全く問題なく無事帰国できた。ただし、精神面では余り愉快には過ごしえなかった。それは、余りにも貧富の差が大きく、底辺の人々の生活は見るに耐えないものがあり、世界遺産の多い国の喜びを半減させるようなものであった。インドにはまり何度も訪れるという人がいるとのことであるが、私はこのような情況の下でははまる気にはなれない。現地ガイドがしばしば言ったのは物乞いには彼らを正常な生活にさせるには物を与えてはいけない。物を与えることにより、物乞いはそれ以上の向上心を持たなくなると言っていた。これには問題があると思った。

ムンバイの海岸

海岸沿い高層ビル

高層住宅

朝の街

海岸沿いの高層ビル

歩道上生活者

チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅

インド門

船から見たインド門

船から見た海岸の高層ビル

第1窟

シヴァ・ヨギスヴァラ

 

 

シヴァ神3面上半身像(マヘシャムルティ)

ラヴァン・アヌグラハ

 

 

第2窟

 

第4窟

第5窟

エレファンタ島

 

海からのインド門

 

 

 

 

 

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