洛陽・西安5日間の旅

今回は妻の要望で中国西安の旅を考えた。しかし、私は同窓の仲間ですでに2回西安を訪れていたので、西安とまだ訪れていない観光地を加えた旅にしようと考え、中国の三大石窟(莫高窟、龍門石窟、雲崗石窟)の一つである龍門石窟がある洛陽の観光が加わった旅を選び、平成22年9月7日(火)から9月11日(土)にかけて5日間の旅に出かけた。

9月7日(火)

関西空港に10時35分に集合し、関西空港発午後12時35分発の中国山東航空で、済南に向かい、済南に午後2時25分(日本と中国の時差は1時間)に到着した。その後、更に済南で乗り継ぎ午後6時25分発の飛行機で西安に向かい、午後7時55分に西安に着いた。到着後、現地添乗員とホテルに向かい午後9時30分頃ホテルに到着し食事を取った。最高温度35度の続いた大阪から考えると西安は非常に過ごし良い気候になっていた。今回の参加人数は12人であった。

9月8日(水)

朝7時15分頃ホテルを出発し、西安駅に向かい駅近くに35分頃着き、15分ほど歩き西安駅に着いた。途中、大学の新学期が始まるのか、大学への送迎バスが連なり、学生で混雑していた。そして、8時30分発の新幹線に乗り東約340km離れた洛陽に10時25分頃に到着した。西安駅構内では非常に人で混雑していたが、洛陽の駅は閑散としていた。途中最高速度340km程度が出ていたが、工事中であったのか普通の電車の速度と同じくらい遅い区間も何箇所かあった。また、日本のようにほとんどが防音壁で繋がっていなく、ほんの一部のみであった。ただし、準備工事中のところもあった。まず、後漢時代の68年に創建された中国最古の仏教寺院の白馬寺を観光した。白馬寺の名前の由来の一つとして「魏書」によるインドから二人の僧侶が白馬に乗って経文を運んで仏教伝道にやって来たことからである。このため、山門前には白馬の石像があり、境内には天王殿、大雄殿、千仏殿がある。中国の仏像は多くは黄金色に輝いており、日本の仏像のように古さや厳かさは感じにくい。このためか、最古の仏教寺院と聞いてもあまり感動や感慨深さは得られなかった。しかし、中国人の敬虔な祈りは日本より強く感じられた。日本での細い線香はなく、花火よりも大きく1mほどの長いものが焚かられている。次いで、大いに期待していた龍門石窟を訪れた。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります

鐘楼

大学新学年出迎えバス停車場付近

西安駅

新幹線車両

新幹線車窓より

洛陽駅

洛陽市内

洛陽城壁再現

 

白馬寺参道

白馬寺

白馬寺

天王殿の布袋像

天王殿の四天王像

天王殿の四天王像

大雄殿

仏像

大雄殿

大雄殿の仏像

龍門石窟へのシャトル自動車

龍門石窟は敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並んで中国の三大石窟の一つである。紀元494年に北魏の考文帝が都を平城から洛陽に遷した時から大同の雲崗石窟を引き継ぐ形で、伊水の両岸の石灰岩の岩肌に石窟が造り始められた。そして、東・西魏、北斉、隋、唐と約400年にわたって掘り続けられた。西山には南北約1kmのところに1352の石窟、785の石(せきがん:屋根・宮殿・竿石・台石の4部の構成)があり、10万体の仏像がある。東山は唐代の物で1割程度である。訪れた主な石窟は以下のようである。● 第20窟潜渓寺(唐時代650−683年)は洞内を泉水が流れていることからこの名前がついた。主仏の阿弥陀仏はなかなか美男で、どっしりとした風格のある仏であった。● 第140窟賓陽中洞主仏像(北魏時代500-523年)は8.4mあり、すこし、笑っているような顔つきで、おどけたようにも見えた。● 第104窟賓陽北洞(唐時代650−683年)の仏は顔も良くどっしりとした威厳のある仏であった。● 第159窟、賓陽南洞(北魏時代)の仏はあまり美男ではないが、安心して拝めるようで、頼りがいのあるような仏に見えた。●万仏洞(唐時代680年)の阿弥陀仏は八角形の束腰の蓮花座に端座しているが、顔、胴、座と全体の大きさのバランスはよくない。この側壁には一万5000体もの小さな仏が彫られていた。●第19窟、奉先寺洞(唐時代675年)はこの龍門石窟を代表するもので最大の露天の仏龕で、幅36m長さ41mあり、非常に美男な高さ17.14mの大仏を中心に、弟子、菩薩、天王、力士の9体の石像がある。大仏の顔は則天武后がモデルであると言われているが、目鼻立ちから見ると西方の血があるように思える。●第1443窟古陽洞(北魏時代493年一番古い石窟)は龍門石窟で最も古く開かれた高さ10mもある窟で、主仏の石像は欠けており、すこし見づらく洞内の壁面もはがれが大きいが、側壁面には3列の仏あり、その中に釈迦像22、交脚菩薩25、定光仏像2、多宝佛1がある。そして、窟全体に無数の小龕像がちりばめられている。面白く観光することができた。ただ、大同の雲崗石窟はまだ訪れていないので分からないが、敦煌の莫高窟と比べると龍門石窟と莫高窟とは大分質的に違うように思った。莫高窟はそれぞれの部屋が大きく、整然と並べられており、その中の装飾は非常に彩色が豊かである。一方、龍門石窟は1mにも満たない窟から数十mのものまでの石窟が無秩序に掘られており、中は彩色が施されているものもあるが、あまり豊かではない。この後、オプション観光として関林廟に向かった。関林廟は劉備に忠義を尽くした三国志の英雄、関羽を祀る廟である。関羽は後世に信仰の対象となり、全国に祀られるようになったが、ここが最初の廟と言われている。そして、各殿に非常にきらびやかな関羽像が安置されている。また、関羽の討ち取られた首が孫権から曹操に送られ、ここの首塚に葬られているとのことである。ところで、昔の中国では、庶民の墓は「墳」、王侯の墓は「塚」、皇帝の墓は「陵」、聖人の墓は「林」と呼ぶ。この後、洛陽駅の方に向かった。途中、古代洛陽の城門が再現されている広場で写真タイムを取り、その後夕食を取り、19時52分洛陽発の新幹線で、西安に21時47分頃到着し、ホテルに22時過ぎに着いた。途中、ライトアップされた安延門(北門)を通り、鐘楼を通った。

龍門大橋(西山石窟側)

第20窟、潜渓寺(唐時代650−683年)

第140窟、賓陽中洞主仏像(北魏時代500-523年)

第104窟、賓陽北洞(唐時代650−683年)

第159窟、賓陽南洞(北魏時代)

西山壁面の無数の洞窟

西山壁面の無数の洞窟

万仏洞(唐時代680年)

万仏洞側壁の万仏(15000体の仏像)

第19窟、奉先寺洞(唐時代675年)盧舎那仏(高さ17.14m)

東山石窟と浸水橋(奉先寺洞盧舎那仏前より東山を望む)

第1443窟古陽洞(北魏時代493年一番古い石窟)

伊水の西山石窟(石窟の9割ほどが西山にある。集合写真の資料より)

 

西山南端壁面の無数の洞窟

関林廟

関林廟への参道(参道沿いに願い事の赤い布が巻かれている)

気壮嵩高殿の関羽像

光照日月殿

光照日月殿の関羽像

関林首塚

古代洛陽城門再現

ライトアップされた安延門(北門)

ライトアップされた鐘楼

秦の始皇帝の兵馬俑(1号坑)

兵馬俑(1号坑)

9月9日(木)

雨の中、朝8時頃ホテルを出発し、兵馬俑博物館に向かった。兵馬俑博物館は3回目の観光である。前回までの2回は1号坑の正面より左側を観光したが、今回は右側を観光できた。このため、今も発掘作業が地道に進められているところを見ることができた。何回見ても規模の大きさには驚かされる。馬車青銅博物館では今回はレプリカの4頭馬車が展示されていた。本物は上海万博に展示されているとのことであった。当然のことながら、われわれが見る限り、本物とレプリカとは見分けがつかない。ここには今回は巨大な兵馬俑の人形が吹き抜けの中央に吊るされていた。ついで、昼食後、市内に戻り、陜西省美術博物館に行った。建物としては近代的な明るい美術館であった。ここは常設としては現代水墨画が展示されており、回廊には木炭画が展示されている。しかし、中国ではよくあることであるが、美術館と称し、特定の部屋では玉類の彫刻が展示されており、展示即売がひつこいほどの熱心さ勧誘されていた。水墨画は興味があったが、玉類の彫刻即売で興ざめた。この後、初めて訪れる空海と関係の深い清龍寺を訪れた。清龍寺は元の名前は霊感寺と言い582年に創建された。そして、711年に清龍寺と改名された。唐の時代には有名な寺院で、日本からは空海をはじめ円行、円仁、恵運、円珍、宗が密教を学んだ。中でも、空海は恵果法師を師として、密教を伝習した。そして、806年に帰国して、東大寺で日本密教真言宗を開いた。このようなこともあり、11世紀には一旦廃寺となっていたこの清龍寺で、1980年代に真言宗関係団体の寄付により、空海記念碑、恵果空海記念堂などが建立された。以上のように、お寺としては由緒あるお寺であるが、一旦廃寺となっていたためかお寺の建造物としてはあまり深さを感じることができなかった。しかし、今後は更に日本の真言宗関係団体の寄付により、お堂が新築されているために充実していくことと思う。この後、シルク絨毯製造販売店を訪れ、そして、玄宗皇帝が745年ー756年の間楊貴妃と享楽した興慶宮公園の一角にあり、1979年に建立された阿倍仲麻呂の記念碑を訪れた。阿倍仲麻呂は日本人でありながら唐王朝の重要な高級官僚となり、帰国時の船の漂流により、帰国が果たせず、死ぬまで長安にとどまった。彼の才能には非常に尊敬の念を覚える。この後、鐘楼の近くにあるレストランに夕食のために行った。鐘楼の近くの広場からは鼓楼も望むことができた。鐘楼は西安市内の中心にあり、東西南北の城門に通じており、1384年に広済街に建てられ、1582年に現在のところに移築された正方形の木造建築である。高さ36m、敷地1377m2の大きさで、塔の上にはかつて鐘が吊るされ(今は回廊のところに安置されている)、毎朝70回叩かれたとのことである。この鐘により城門が開かれたとのことである。鼓楼は鐘楼の西北500mのところにあり、1380年に建てられ、清代に2度改修された。楼閣は外観は3層であるが、2階建てで、外側には回廊があり、回廊のとこに太鼓が見える。

兵馬俑坑博物館(1号坑)(現在も白熱灯のもと発掘作業が行われている)

兵馬俑(1号坑)

兵馬俑(3号坑)

兵馬俑(2号坑)

兵馬俑(2号坑)弓矢の部隊

兵馬俑(2号坑)

兵馬俑(2号坑)

兵馬俑(2号坑)

馬車青銅博物館

陜西省美術博物館

陜西省美術博物館(水墨画)

陜西省美術博物館(水墨画)

清龍寺

回廊

空海のレリーフ(回廊の壁には多くのレリーフ)

 

空海記念碑

恵果空海記念堂

恵果空海記念堂内

恵果空海記念堂内(空海と恵果像)

シルク絨毯製造販売店

興慶宮公園

興慶宮公園内

興慶宮公園内(阿倍仲麻呂記念碑)

鐘楼

鼓楼

小雁塔

ホテルからの小雁塔

9月10日(金)

天気が回復した中、バスの出発が比較的遅く、ホテルの近くに小雁塔があったので、訪れた。唐代の中宗が684年に献福寺を建てたが、即天武后が高宗のために690年に改修して、薦福寺と改称した。そして景龍年間(701−710)に塔を建立し、大雁塔より小さいので小雁塔と命名された。創建当時は15階建てであったが、地震で崩れ13階建てになっている。訪れたのは朝の8時頃であったので中には入ることができなかったので、ホテルの廊下から眺めた。この後、9時頃ホテルを出発し陜西省歴史博物館に向かった。ここも、3回目である。ただ、ここの収蔵点数が37万点あり、このうち3千点が常設展示されるため、前回の2回と同じ展示物かどうかは分からない。なんとなく展示品が変わっているように感じた。それに加えて、最近、中国の他の大きな博物館も何箇所か訪れているため頭の中でうまく整理されていない。とはいえ、多くの歴史的に古い展示品には感心させられる。昼食後、西安南東郊外にある慈恩寺に向かった。ここは平成17年の西安・大連旅行にも来た所で、648年唐の第3代皇帝高宗李治が亡くなった母、文徳皇后の慈恩を追慕して建立した寺である。そして、ここに652年玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典、仏像などの保存のために大雁塔が建立された。以前のときは一番高いところまで上ったが今回は時間の関係上登らなかった。今回、前にお訪れた時と大きく異なっているのが大雄宝殿の内部である。黒漆の豪華な内装になり、仏像も大きな豪華な釈迦如来の三身仏と側面の十八羅漢があることに驚いた。この寺の書家としても有名で管長に当たる僧侶が書いた隷書の漢詩(王維の「送元二使安西」)の掛け軸を寄付にもなるというので購入した。この後、市内に向かい、オプションで西の安定門と城楼に向かった。この城楼は保存状態が良い。城壁は東西4.2km、南北2.6kmで周囲13.7kmあり、高さ12mで上部の幅12−14mあり、下部は15−18mある。そして周囲の堀は幅20m、深さ7mある。今回、我々は城楼を見物後、時間的に城壁の上を歩くのは無理があるので、10人乗りのカートで、西門の安定門から南門の永寧門までを往復した。この後、西安空港に行く途中にある漢陽陵地下遺跡博物館に向かった。咸陽には前漢帝(BC206−AD8)の陵墓が9つあり、漢陽陵はその一つで、第4代景帝の陵墓である。前漢は秦滅亡後の楚漢戦争で項羽との戦いに勝利した劉邦によって建てられた。この博物館は漢陽陵の近くにある陪葬坑から多数の兵士俑や侍女俑が発掘されたものをそのまま展示するため発掘坑はガラスで覆い展示されている。兵士俑は、上肢と鎧などの装備が木や繊維などで作られていたので、ほとんどが腕のない裸体の状態である。大きさは4、50cm位のものが多いようであった。兵馬俑とは規模と趣が異なっており、非常に興味深かった。夕食後、西安空港に向かい午後8時40分の飛行機で済南に向かい、午後10時10分ころ到着し10時半頃済南空港の近くのホテルに着いた。

陜西省歴史博物館

 

 

コインの鋳型

 

 

 

大慈恩寺

大雄宝殿内仏像

安定門(西門)

安定門よりシルクロードの方向を望む

安定門より城壁上をカートで南門(永寧門)へ向かう

長楽門より鐘楼を望む

漢陽陵

漢陽陵前から望む(左手御后陵)

漢陽陵

参考資料:埋葬人形(内部は写真は禁止のためインターネットより)

参考資料:通路床下に埋葬人形展示(インターネットより)

淡路海峡大橋

9月11日(土)

朝6時頃ホテルを出発し、済南空港を8時5分に出発し、関空に11時35分頃到着し、午後1時30分頃帰宅した。今回の旅行は、初めて訪問の洛陽の龍門石窟、最古の寺院白馬寺、関林廟、西安へは3度目の訪問ではあるが訪問が初めての清龍寺、漢陽陵地下博物館などに興味抱き、兵馬俑博物館、陜西省歴史博物館、慈恩寺などの再確認も有意義であった。

 

 

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