江南周遊6日間の旅

今まで、飛行時間の長い国を観光してきたが、これからは飛行時間の短い国を観光しようと思い、平成22年2月26日(金)から3月3日(水)にかけて6日間の中国の江南地域(上海→蘇州→鎮江→揚州→南京→無錫→上海)を旅行した。

2月26日(金)

関西空港に12時に集合し、関西空港発午後2時発の中国東方航空で、上海に向かい、上海浦東空港に3時30分(日本と中国の時差は1時間)に到着した。機内で、中国入国カードと検疫に関する書類を書いた。中国の方が日本より、衛生的に相当劣っているのに検疫の書類を書かされることに矛盾を感じた。到着後、現地添乗員の先導により磁気浮上形リニアモーターカーに乗り7分余りで上海市内の滝陽路駅に着いた。リニアモーターカーの最高速度は430kmであった。特に新幹線と乗り心地は変わらなかった。添乗員の話では2001年3月に着工し、2002年12月に完工した。この総建設費が90億元と言われ、余りにも高くつくので杭州まで延長される計画が凍結されており、これに代わって新幹線が検討されているとのことであった。このことを考えると大阪の橋下知事の大阪市内から関西空港までリニアモーターカーで時間を短縮し、伊丹空港を廃止すると言う構想はばかげていることが分かる。上海へ出張して何を学んできたのであろうか。今回の参加者は103名と多く、我々は第3班で、我々の班は34名であった。このような近場の中国は希望者が多いようである。滝陽路駅に到着後3台のバスで、どんよりと曇った中90km離れた蘇州に向かった。途中、黄浦江両岸、南浦大橋と盧浦大橋間の濱江地区にある上海万博会場の一部を望むことが出来た。蘇州には6時30分頃到着した。蘇州(Suzhou)は紀元前6世紀に呉の国の都が置かれた古い町で、古い庭園も点在し、東西3km、南北5kmの運河「外城河」で囲まれている。そして、この周りにも水路が張り巡らされており、東洋のベネチア、否ベネチア以上とも言われている。夕食後、オプションの水路のナイトクルーズと山塘街散策の観光に出かけた。今日は中国の旧正月中であり、午後8時過ぎに胥門(Xumen)広場前にバスで到着し、城壁の胥門を通り、百花洲公園(Baihuazhou Park)に入り、外城河の川岸の船着場に行き、北に向かってナイトクルーズした。折りしも中国は旧正月中であったので胥門広場、百花洲公園には多くの飾りや提灯、ライトアップがなされ、人出も多くにぎやかであった。川岸にはビルのライトアップが多く見られ美しかった。そして、白居易記念苑の建物と閶門(Changmen)が見えるところで、虎丘の方に通じる細い水路に入り、古い町並みの中を250mほど行った所の船着場で船を降りた。ここから、山塘街を散策した。山塘街は船で来た細い水路に沿っており、色々な土産店が並んでいたが、今日は旧正月のため多くの店が閉じていた。ただ、提灯の飾りが多くライトアップの効果に貢献していた。山塘街は宝暦年間(西暦885)に詩人として名高い白居易が蘇州の知事として赴任すぐに商業街だったチャン門から虎丘にかけ山塘河を開墾し、灌漑と交通の便が大幅に改善され、一大商業街として発展した。この後、ホテルへは10時過ぎに到着した。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

リニアーモーターカーの最高速度

リニアモーターカー

上海万博会場の一部

旧正月の飾りの城壁と胥門広場

門(Changmen)

白居易記念苑

古戯台より

 

山塘街(shantangjie)

山塘街

蘇州留園

2月27日(土)

今日は雨の中、8時頃ホテルを蘇州観光に出発し、留園に向かった。留園は中国四大名園の一つに数えられており、明代の16世紀中頃に徐秦時が個人庭園として創建した。高さが6mある「冠雲峰」という石をはじめ色々な形をした、穴の多い石、すなわち太湖石(中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石)が数多く配置され、池を中心に多くの植物が植えられており、日本の庭園と同じく楽しませてくれるが、趣の違った庭園ではある。雨もまた良しというところであった。次いで、シルクの刺繍工場を見学し、その後、寒山寺に行った。寒山寺は「妙利普明塔院」の名で517年に建てられたが、現存する建物は清代末のものである。唐代貞観年間(627-649年)に高僧寒山が住んでいたことから寒山寺と呼ばれるようになった。そして、唐代の詩人張継の「楓橋夜泊」にこの寺が詠まれたことから有名になった。張継の詩碑も何度となく盗難に遭い、今あるものは清代光緒(1875-1908年)のものである。鐘楼も清代のものであるが除夜の鐘として特に有名になり、日本人客も多いとのことである。この後、絹布団工場を見学した。そして、昼食後、長江沿岸にある北方約160km離れた鎮江に向かった。

留園

太湖石

五峰仙館

 

石柱:冠雲峰、正面建物:冠雲楼、石柱右横:冠雲亭、右端:待雲庵、左端:佳晴喜雨快雪之亭

正面建物:西楼と曲渓楼

正面:可亭

刺繍工場

刺繍製品販売

寒山寺四天王(西方広目天、北方多聞天)

寒山寺大雄宝殿

張継の楓橋夜泊の詩碑

羅漢堂

羅漢堂

鐘楼

寒山寺五重塔の普明宝塔(高さ52m)

絹布団製造工場

鎮江は京杭運河と長江と交差する位置の港町で、古くから水上交通の要衝として開け、三国時代には呉の孫権が都とした所である。そして、黒酢の産地としても有名である。まず、最初に行った北固山は標高52.2mあり、三国志の中で、劉備玄徳と孫権が曹操を倒す計画を立てた所と言われている。山上には甘露寺があり、寺院内には孫権が妹を劉備に嫁がせる際、親が劉備の品定めする場面の蝋人形もある。ここからの眺めはあまり良くなかった。この後、古西津渡街を散策した。古西津渡街は宋時代の面影を残す街で、石造りの家並みで、今は非常に美しく改修されており、かえって近代町並みの様で、あまり興味をそそるものではなかった。散策の後、約35kmほど北にある揚州に向かった。午後6時30分ころ揚州に到着し、ホテルに向かう途中バスから四望亭や文昌閣のライトアップを見ることが出来た。四望亭は南宋の嘉定年間(1208−1224年)に建立された。文昌閣は明の万暦年間(1585年)に建設された揚州府学の魁星楼である。揚州は唐代から貿易で賑わい、元代にはマルコポーロが総督を務めた地である。

鎮江の金山(高さ44m)。山上に禅宗の寺がある。

鎮江北固山

劉備と孫権がどちらが天下をとれるか剣で石を切り占った試験石

北固山の途中の尾根までの上り坂

尾根からの眺め(北固山から長江は見えない)

 

阿倍仲麻呂歌碑(阿倍仲麻呂が立ち寄ったと言われている)

 

 

蝋人形

鎮江古西津渡街

 

チベット仏教の石塔

揚州四望亭

揚州文昌閣

 

2月28日(日)

今日も曇った天気の中、ホテルを8時30分ころ揚州観光に出発し、大明寺に向かった。大明寺は南朝の宋武帝大明年間(457-464年)に建立された寺で、唐の時代に日本に渡来して奈良に唐招提寺を建立した鑑真大和上が修行した寺である。寺院内には三尊大仏像や十八羅漢像、観音菩薩像他が祀られた大寶殿がある。また、鑑真没後1200周年の1973年に建てられた唐代建築様式の鑑真紀念堂があり、鑑真座像が納められている。更に9層の棲霊塔(高さ70m)が聳えており、少し時間があったので最上階まで登り、揚州を眺めることが出来た。各階には同じような仏像が4体づつ安置されていた。この後、東方約110km離れた南京に向かった。12時頃南京に到着した。南京は江蘇省の省都で、人口600万人を越える大都市で、三国時代の呉が都を置いて以後、6つの王朝の都になった古都である。更に、近代では現中国の建国まで国民党政府の首都が置かれていた。昼食後、南京市内観光に出かけた。まず、明孝陵に行った。明孝陵は明の太祖洪武帝(朱元璋)の陵墓で、洪武14年(1381年)から永楽3年(1405年)にかけて造られた。参道には12対の石獣と対の石人が並び、その先に直径400mの円形の墳墓がある。方城の北にある宝頂(宝城)の地下に朱元璋と馬皇后が眠る地下宮殿「玄宮」がある。参道から外れた丘一帯に広大な梅林があり、ちょうど満開に近い梅に覆われており、匂いも良く、美しかった。この後、南京博物院を見学した。非常に多くの展示物があり、歴史の深さ、広さを感じた。現在、中国には数え切れないほどの博物館があるが、「博物院」と名付けられているのは、北京の「故宮博物院」とここだけで、格の高さをうかがい知ることができる。次いで、中華門を訪れた。中華門は明代の1366年ー1386年に朱元璋により建設され、その時の名は聚宝門と呼ばれていたが、1931年に中華門に改名された、周囲が34kmの南京城の正門である。中華門は城門というより城塞の規模であり、東西90m南北128mの城により防御された城門である。そして、城の西は長江、東と北は紫金山で囲まれているため、中華門が防御に重要な位置を占めていた。中華門観光後ライトアップされた夫子廟を観光に向かったが、今日は旧正月の最終日で日曜日のため、人出が多く、道路も人専用に変更され、更に、夫子廟の方面からの一方通行となり、途中で身動きが出来なくなった。そこで、今夜の観光は中止にして、レストランで夕食を取り、ホテルに行った。夜遅くまで市内では花火の打ち上げが散発的に行われていた。

 

揚州大明寺

四天王(東方持国天、南方増長天)

大雄宝殿

三尊大仏像(周囲に18羅漢)

鑑真和上坐像

 

9層の棲霊塔(高さ70m)

9層の棲霊塔内の仏像

棲霊塔の最上部からの眺め

 

 

明孝陵参道(石獣・馬)

石獣・麒麟

石獣・象

参道から外れて広大な梅林

博愛閣

参道の石人

参道の石人

明楼

南京博物院

玉で覆われたミイラ

衣服

水墨画

青銅器

青銅楽器

木彫

磁器

陶器

陶器

中華門

4重の門

中華門と城壁の屋上

中華門の屋上

屋上から地上までの坂

ライトアップされた夫子廟への途上

3月1日(月)

今日も今にも雨が降りそうな中、ホテルを8時30分頃出発し、江南貢院に向かった。江南貢院は、1168年に、夫子廟地区に建てられた、中国最大の科挙試験会場である。最盛期には受験用の個室が20644室もあった。この様子を模型で説明されていた。夫子廟には入らなかった。夫子廟は1034年に建立された孔子廟である。旧正月は終わったが、名残の爆竹がところどころで鳴らされていた。この後、南京から約160km離れた太湖の辺にある無錫に向かった。そして、昼頃無錫に到着した。無錫はかつては大量の錫が産出されたが、漢代に採り尽くされたので無錫という名が付いたとされている。昼食後、まず、恵山泥人形を見学した。恵山泥人形は恵山山麓で産出される良質の粘土が使われ、明代の万暦年間にこの地に伝わった「昆曲」という芝居の人物を人形にしたものが始まりといわれ、400年以上の歴史を持つ。多くは石膏型によるもので、これは窯で焼かずに陰干しして乾かすのが特徴である。次いで、太湖遊覧にでかけた。生憎小雨模様で、ほとんど景色がかすみよく見えない状態であったので、水墨画の世界と喜べるようなものではなかった。また、太湖のように琵琶湖の3.5倍ほど広い湖は余程見通しがよくない限り、大きすぎて無味乾燥状態である。遊覧後、カラス貝に柔らかい肉片を入れて養殖する淡水真珠研究所を訪れた。この後、夕食を取り、ホテルに行った。

ホテルからの南京駅

夫子廟、江南貢院への道

夫子廟を対岸に見る

夫子廟入口

江南貢院

首席合格者の行列模型

受験者の部屋

受験者の部屋

恵山泥人形工場

 

 

無錫太湖遊覧

 

 

 

上海万博宣伝パネル

3月2日(火)

今日も曇りの中、朝8時にホテルを出発し、約130km離れた上海に向かった。そして11時頃到着した。上海は長江の河口にある中国の商工業、金融の中心となる大都市で、北京をしのぎ人口1800万人余で、中国の直轄市の一つである。まず、工芸品の展示販売している上海工芸美術館に行った。近年中国は100年以前の工芸美術品は中国から持ち出しを禁止している。ここでは近年の工芸美術品の高額品を販売していた。精巧な玉の工芸品を楽しむことが出来た。次いで、庭園で有名な豫園を訪れた。豫園は明代の1559年に四川省の長官潘允瑞が、別荘として建てたもので、1956年に2haが修復、復元された。園内には大小の楼閣があり、龍壁によって分けられている。龍壁とは、一匹の龍が波打つような姿そのままに彫刻されて屋根となっている屏のことである。この庭園も蘇州の留園と同じく、太湖石が多く配置されていて興味深い庭園であった。この後、豫園周辺の旧正月の名残の飾りなどで華やかな商店街を散策し、12万点にものぼる青銅器、陶器、書画などを収蔵している上海博物館を見学した。この博物館は旧財閥の美術コレクションを中心に1952年に創設され、1996年に新装された。4階からなり、駆け足で回ったが、1時間程度では到底回りきれなかった。次いで、新天地を観光した。新天地は1920−30年ごろの市民のレンガ造りの共同住宅、旧石庫門街の建築を保護するため2001年に改造し、娯楽施設として生まれ変わったレトロな街である。しかし、実際に受けた印象は余りにも整理、改造されすぎたのかレトロさよりは近代化が勝ちすぎて、印象としては余り興味を引くものではなかった。この後、夕食をレストランで取り、ホテルに行く人、オプションの上海雑技を見に行く人、黄浦江ナイトクルーズに行く人に分かれた。私は黄浦江ナイトクルーズに参加した。黄浦江を挟んで外灘側と浦東側とがあり、外灘側は旧市街で、浦東側は超高層ビルの建ち並ぶ近代市街である。このそれぞれの建物のライトアップ、ネオンが特徴のある光を美しく放っていた。天候も余りすっきりしないため、見通しは悪かったが、一応満足できた。クルーズ後は今回の旅の最後のホテルに行った。

上海工芸美術館

白玉観音

 

 

 

豫園への道、賑やかに飾られた商店街

 

 

豫園前

太湖石玉玲瓏(イュリンロン)(高さ3m)

 

 

 

 

龍壁

 

 

旧正月飾りの九曲橋と湖心亭

旧正月飾りの九曲橋と湖心亭

豫園商城(ショッピング街)

東方明珠塔と高層ビル群

上海博物館

民族衣装

古銭

家具

書画

明清景徳鎮の系統図

陶磁器

陶磁器

陶磁器

陶磁器

新天地

 

 

黄浦江ナイトクルーズ船着場より外灘側の南を望む

クルーズ船と東方明珠塔

浦東地区の東方明珠塔(高さ468m)と高層ビル群

黄浦江の南の方角の両岸

浦東地区

3月3日(水)

朝6時頃ホテルを出発し上海空港から9時に出発し、関空に11時頃到着し、午後1時頃帰宅した。今回の旅行は金額も安く割合手軽に楽しく出来た旅行であったが、天候が不順で、すっきりしない日が続いたことが残念である。旅行は天気が良いことが最大の要因である。

 

 

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