イタリア紀行9日間    

平成21年10月26日(月)〜11月3日(火)にかけてイタリアの北から南のナポリまで旅行した。イタリアのローマとポンペイ、ナポリは平成4年のヨーロッパ五ヶ国の旅の時に行ったが、他の都市には行っていないので今回実現させた。

10月26日(月)関西空港からエミレーツ航空で午後11時20分に出発し、10月27日(火)アラブ首長国連邦のドバイに11時間20分ほどの飛行時間で午前5時40分頃(日本とドバイの時差は5時間)に到着した。そして、ドバイで3時間25分待ちの乗り継ぎで、午前9時5分出発し、イタリアのミラノに6時間45分ほどの飛行時間で12時50分頃(ドバイとミラノの時差は3時間)到着した。結局、日本を出発してミラノに到着するまで、21時間30分かかったことになる。自宅からの時間は24時間を越えた。昼食は機内食であったため、到着後、すぐにミラノ市内観光に出発した。

ミラノ市は人口130万人のイタリア第二の都市で、イタリア北部にある。日本で旅行の準備の時に大阪より大分寒いのではと思い、防寒に注意を払ったが、思いのほか寒くはなく、大阪より少し寒いかなと感じる程度であった。こちらでの木々の紅葉はすでに始まっていたが、日本のもみじのような赤い紅葉、銀杏のような黄色いものではなく、赤茶けたものか、黄土色のものであった。まず、ルネッサンス時代の大貴族ヴィスコンティの小規模な城を15世紀後半にスフォルツァ家が増築して大きくしたスフォルツェスコ城に行き、写真撮影のみを行った。城内には市立美術館があるとのことである。次いで、スカラ座広場に行った。スカラ座広場からは1778年にオペラの殿堂として建てられたスカラ座を眺めることができ、広場にはレオナルド・ダ・ヴィンチ像があり、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(アーケード)の入り口があった。ミラノにはレオナルド・ダ・ヴィンチが二十数年滞在したとのことである。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアは十字形の商店街のガラス屋根のアーケードで1865年から12年かけて作られ、イタリア再統一を記念して、統一イタリア初代国王の名が付けられた。通路は大理石のモザイク装飾が施され、中央のドームの上部にはフレスコ画が施されており、「ミラノの応接間」と呼ばれているように落ち着いた雰囲気の良いアーケードであった。中央部の端の道路面には「幸せになる雄牛のモザイク」があり、この牛の急所部を靴の踵で一周回ると幸せになるとのことであった。そして、このアーケードはスカラ座広場とドゥオモ広場を結んでおり、ここを通って、ドゥオモ広場に行った。ドゥオモ広場に出たとたん天を突き刺すような数多くの小さい尖塔もつ白い大理石のドゥオモが目に飛び込んできて感動した。このドゥオモは幅約93m、奥行き約158mで、135本の小さい尖塔を持っており、最も高い尖塔は108.5mある大聖堂で、1386年から500年費やして1813年に完成された後期ゴシック様式のものである。礼拝堂内は太い石柱が林立して、柱の間には大きな宗教画が掲げられていた。また、大きなステンドグラス窓も美しかった。この屋上にはエレベータで登る事ができたので、屋上に上がった。尖塔ばかりが目立っていたが、市街の眺めもすばらしかった。この後、ほぼ東271km離れたベネチアへ向かった。日の暮れるのも早く5時30分頃には暗くなり、バスは高速道路をひた走り、8時半ころベネチアのホテルに着いた。ベネチアはアドリア海の根元に位置し、人口31万人ほどのヴェネット州の州都で、150の運河、400以上の橋、117の島からなる水上都市である。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

 ミラノ市の市電

スフォルツェスコ城

スカラ座

スカラ座広場のレオナルド・ダ・ヴィンチ像

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(十字路アーケード)

十字路の中央のドーム(上部にはフレスコ画)

モザイク装飾の通路(この傍に「幸せになる雄牛のモザイク」)

ドゥオモ(ミラノ大聖堂)

聖堂内

ステンドグラス

ドゥオモの屋上

屋上からのミラノ市街の眺め

ドームはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会、右手鐘楼

ドゥカーレ宮殿

10月28日(水)快晴の中、ホテルを8時30分にバスで出発し、本土とベネチア本島の間を結ぶ橋を渡り、本島に着き、更に、本島の北側から船でジュデッカ運河を通り、サン・マルコ広場の近くの波止場まで行き、海岸を歩いて、サン・マルコ広場まで行った。そして、広場に近いゴンドラ乗り場より1艘当たり6人でゴンドラに乗り、30分ほど水路を巡った。細い水路を多くのゴンドラや小さい船が行き交っていた。細い水路はあまり良い匂いではない濁った水で満ちていたので、楽しさが半減した。この後、サン・マルコ広場に行った。サン・マルコ広場の周りにはドゥカーレ宮殿(ドゥカーレ宮殿は9世紀に建てられ、ベネチア共和国の総督が住み、立法・行政・司法の中心であった)、行政長官府(行政長官府は新と旧とがあり、旧は12世紀に建てられ、その後焼失したため16世紀に再建され、新は16世紀から17世紀にかけて建てられた)、鐘楼(鐘楼は約96mの塔で9世紀に着工、16世紀に完成したが、1902年に崩壊し、1912年に再建された。鐘楼には頂上までエレベータがあり、展望できる)、サン・マルコ大聖堂がある。まず、サン・マルコ大聖堂を観光した。サン・マルコ大聖堂は828年にアレキサンドリアから移された聖マルコの遺体を祀るために建てられた。ロマネスク・ビザンチン様式で美しく、聖堂内はモザイクや金箔で飾られているが、金ぴかと言うのではなく時代を経ているため重厚な神々しさが感じられた。次いで、ベネチアンガラスの製造販売所を見学したベネチアンガラスはきれいだが、購入するにはいたらなかった。この後、鐘楼に行き、エレベータで頂上まで上がり、街を眺望することができた。眺めはよく、赤い屋根青い海、青い空が印象深かった。そして、昼食後、南東241kmほどのところにあるフィレンツェの近郊のプラトーに向かった。そして、午後7時頃に着き、バスは明日フィレンツェに入るための市税を払う手続きをした。そして、夕食後ホテルに着いた。

ゴンドラ乗り場近く

水路を行くゴンドラ

ゴンドラ乗船場

中央:海側のサン・マルコ広場、左側:鐘楼、行政長官府、右側:ドゥカーレ宮殿

サン・マルコ広場、右:旧行政長官府、左:新行政長官府

サン・マルコ大聖堂

聖堂内

聖堂内

ベネチアングラス製造所見学

ベネチアングラス陳列

鐘楼からの行政長官府方面

鐘楼からの旧行政長官府方面

鐘楼からドゥカーレ宮殿方面

鐘楼からサン・ジョルジョ島方面

サン・ジョルジョ教会

サンタ・クローチェ教会

10月29日(木)今日もよく晴れた朝を迎えた。朝8時ホテルを出発し、フィレンツェ市街に入った。フィレンツェ市はトスカーナ州の州都で人口40万人が住み、15世紀に開花したルネッサンス発祥の地である。観光バスが市内に入る時に市税を徴収して、歴史都市を守るということを行っているにもかかわらず、市内へ入る自家用車の数が多く、市内の道路1車線を路上駐車させるという良くない政策のため、自動車の渋滞がひどく、歴史都市保全の危惧があるように思え、期待度も半減した。まず、ウフィッツィ美術館近くでバスを降り、アルノ川沿いから川に架かるフィレンツェ最古の橋ベッキオ橋を眺めながらウフィッツィ美術館に向かった。このウフィッツィ美術館はメディチ家が収集した絵画を所蔵しており、中にはボッチチェリの「春」やレオナルド・ダヴィンチ「受胎告知」などがあり、1時間ほど見学した。この美術館の回廊からベッキオ橋や、アルノ川沿いの建物が良く眺められた。ベッキオ橋はウフィッツィ美術館とピッティ宮殿まで屋根のある廊下で結ばれている。次いで、美術館の傍にあるショニリーア広場に向かった。ショニリーア広場の回りには1314年に完成したゴシック様式の政庁舎で、メディチ家の宮殿だったベッキオ宮殿があり、その前にはダビデ像があり、更にウフィッツィ美術館の端に当たるところに彫刻群がある彫刻廊ロッジア・デッラ・シニョリーアがある。さらに、広場にはネプチューンの噴水があり、彫像で満ちており、ゆっくり見る時間が欲しかった。次いで、広場から北にあるドゥオモに向かった。このドゥオモの正式名称は花の聖母教会と言われる。このドゥオモの正面は白い大理石に緑の大理石が施され、美しい容姿をしており、更にこれに続いてドーム状の高さ106mのレンガ色のクープラ(円蓋)が聳えている。このドゥオモはフィレンツェ共和国が1296年から約140年かけて築造したもので、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ3番目の大きさと言われている。内部のドームには宗教的フレスコ画が大きく描かれており、荘厳さが感じられた。この前にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂がある。この洗礼堂も八角堂の美しい建物で、フィレンツェの守護神サン・ジョヴァンニにささげるために11世紀に建てられた。この東側の扉にはミケランジェロが「天国の門にふさわしい」と讃えたほど美しいギベルティ作の金箔の旧約聖書の物語のレリーフの扉がある。また、ドゥオモの右手にはジオットの鐘楼がある。これはジオットとその弟子ピサーの設計によるもので、1334年に着工し、14世紀末に完成したもので、高さが84.7mある。この鐘楼も美しい塔であった。

ウフィッツィ美術館の窓から見たベッキオ橋

ウフィッツィ美術館

ウフィッツィ美術館の外廊

ベッキオ宮

ダビデの像

彫刻廊ロッジア・デッラ・シニョリーア

ドゥオモ(花の聖母教会)

教会内

教会内

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

洗礼堂の扉(天国の門)

洗礼堂とドゥオモとジオットの鐘楼

昼食後、フリータイムとなったが、オプションのピサ行きに加わった。ピサはフィレンツェの西60kmほどのところにあり、11世紀から13世紀かけて港町として栄えた。現在は港から離れている。途中にはローマ時代に使われた水道橋やローマ時代から街道沿いの並木として使われていた傘型になった松並木などの景色も見られた。ピサ近くの駐車場でバスから降り、専用のシャトルバスに乗り換えて10分弱でピサの斜塔があるドゥオモ広場まで行った。ドゥオモ広場にはドゥオモ、洗礼堂、鐘楼(ピサの斜塔)、カンポサイト、シノービエ美術館などがある。11世紀にピサの艦隊がイスラム教徒を破り、戦利品でドゥオモを建設し、1173年から鐘楼の建設が着工された、途中で海岸であったため地盤沈下で傾くが、続行され1350年に完成した。このため屋上の中心は4.5m横にずれている。これが、ピサの斜塔と呼ばれ、16世紀末にピサ大学の教授であるガリレオ・ガリレイが「落体の法則」の実験をしたことでも有名である。近年はこれ以上傾かないように改良が施されている。ドゥオモも堂々とした美しい建物で、礼拝堂内の天井、モザイクの床そびえる柱と非常に美しく、ドーム天井のキリスト像も非常に大きく美しいものであった。洗礼堂の天井は半円のドームになっており、内部はシンプルではあるが、ドーム内の音の反響がすばらしいために、エコーの良さを示すためドーム内の中心で専門の人が発声音を見物の人に聞かせていた。約2時間滞在して、再びフィレンツェに戻ったが、フィレンツェで渋滞に巻き込まれ、予定より30分ほど遅く着いた。

ローマ時代の水道橋

ローマ時代からの松並木

ピサの斜塔の外壁

ドゥオモの洗礼堂、ドゥオモ、ピサの斜塔

ドゥオモとピサの斜塔

ピサの斜塔

ドゥオモ

ドゥオモの内部

ドゥオモのドーム天井

洗礼堂のドーム

夜のベッキオ橋

城塞都市オルヴィエート

10月30日(金)今日も快晴の中、7時30分にローマに向かう途中にある183km離れたオルビエートに向けて出発した。オルビエートは凝灰岩の上にある「世界一美しい丘上都市」と呼ばれており、とりわけゴシック建築の宝石とも呼ばれるドゥオモがある。この丘上都市に行くにはケーブルを利用する。ドゥオモは大きさとしてはあまり大きくは無いが、表正面は白い大理石に旧約聖書、新約聖書のシーンのレリーフが施され、更に金箔の絵画が描かれている。横壁面は白い大理石、黒い大理石の交互の横のラインが美しくしている。内部はシンプルではあるが、美しいものであった。約1時間ほど街を散策した。丘からの下の町の眺めも美しかった。約1時間の滞在後、120km南にあるローマに向かった。

ドゥオモ

ドゥオモの内部

ドゥオモの内部

陶器店

オルヴィエートからの眺め

サン・ピエトロ寺院 

ローマには午後2時頃着き、昼食後市内観光した。まずはバチカン市国サン・ピエトロ寺院に行った。バチカン市国は面積が0.5km2でここにはローマ法王や聖職者や衛兵などで人口約1000人である。15世紀からローマ法皇の御座所となった。サ・ピエトロ寺院はユリウス2世が1506年から120年かけて再建したもので、この間ラファエロ、ミケランジェロも設計したもので、年間数百万人が訪れる。18年前の旅行で訪れた時と変わらない景色であり、寺院であった。ただ、今回の撮った写真は最新のデジカメであるためたくさんの鮮明な写真を撮ることができた。そして、寺院内外の壮大かつ荘厳さは初めて見たような感激を与えた。スイス護衛兵も変わっていなかった。次いで、コロッセオに行った。ここは、72年にウェスパシアス帝が手がけ、80年にティトゥス帝が完成させたもので、高さ57m4階建てで、長径が188m、短径が156mの巨大な円形競技場であった。今回は外観だけの観光であったが、18年前の時は中も見学した。古代ローマ遺跡の象徴のようである。コロッセオの傍にはコンスタンティヌス帝の凱旋門がある。これはキリスト教を初めて公認したコンスタンティノス帝は政敵のマクセンティウス帝と戦い勝利を収め、これを記念して、315年に元老院や市民によって建てられたもので、多くの彫刻レリーフによって飾られている。夕暮れが早くなる季節のため、次に訪れたトレヴィの泉では相当暗くなっていた。トレヴィは三叉路の意味である。クレメンティウス12世が建設を提唱し、1762年に完成させたもので、中央には2人のトリニーネが引く2頭の海馬とそれを駆って走る海神ネプチューンの彫像があり、きれいにライトアップされており、たくさんの人でにぎわっていた。後ろ向きで、肩越しにコインを投げ入れると再びローマに来ることができるという伝説があり、多くの人がコインを投げ入れていた。私も18年前にコインを投げ入れたので再びローマにこられたのかもと思い、再び、コインを投げ入れた。しかし、多分次回は無いと思いつつであった。ついで、スペイン広場に向かった。スペイン広場は17世紀にスペイン大使館があったのでこの名がついた。写真の手前の泉はピエトロ・ベルニーニ作の「バルカッチャの泉」で奥の階段はスペイン階段で1720年に建造され、137段あり、一番上にあるトリニタ・ディ・モンティ教会への参道である。階段を登り、教会に入ったが、ミサの最中であった。ミサの最中でも見学者を受け入れる寛容さに感心した。教会の前からの眺めは夜のため遠くは見通せなかったが、十三夜の月が美しかった。この後、夕食を取りホテルに行った。

寺院内部

クープラの天井

ミケランジェロのピエタ(悲哀)

祭壇

スイス護衛兵

ローマ遺跡フォロ・ロマーノ

コンスタンチヌスの凱旋門

コロッセオ

サンタ・マリア・マジョーレ寺院

トレヴィの泉

スペイン広場と正面トリニタ・デ・モンティ教会

トリニタ・デ・モンティ教会内部

祭壇とミサ

トリニタ・デ・モンティ教会の前からのスペイン広場

トリニタ・デ・モンティ教会の前からの十三夜の月

松並木

10月31日(土)快晴の中、9時45分に南に254km離れたポンペイに向かった。昼食後約1時間ほどポンペイ遺跡観光を行った。ポンペイは紀元前8世紀に建設された商業都市で、ナポリの南東23kmのところの港町で、紀元前4世紀に古代ローマの支配下に入り発展していたが、79年8月24日のヴェスヴィオ山の噴火により一瞬にして灰により埋没してしまい1748年にナポリ王のカルロス7世により発掘され遺跡として世に現れた。ここには当時の都市を形成する街並み(邸宅、居酒屋、パン屋、轍の残る道路など)や公共施設(大衆浴場、アポロ神殿、劇場など)などのすべてが遺跡として残されており、時には当時の埋もれた人が生々しく再現されている。広大な遺跡のため我々が訪れた場所は限られているが興味のあるものであった。実際18年前にも訪れたが、訪れた場所は少し異なっていた。また、時期が夏であったので暑かったが、今回は季節としては良かった。

この後、ナポリに向かった。ナポリはローマ、ミラノに次ぐイタリア3番目の都市で、人口160万人である。ナポリに向かう途中小高い所を通る道路から明日行くカプリ島を望むことができた。ナポリでは海岸に近い地域のみの観光であった。観光時はすでに夕暮れになっていた。バスからヌオーヴォ城(卵城より新しい城という意味)を眺め、このすぐそばでバスを降り、ウンベルト1世ガッレリアの前を通り過ぎ、ブルボン家フェルナンド一世が建設したピアッツァ・プレビシート広場に向かった。ここには17世紀に建てられたブルボン家を初めとしてナポリ王の王宮と1846年に建てられたサン・フランチェスコ・ディ・バオラ教会が広場を挟む形で建っている。広場からの外観観光のみで終わった。夕暮れの観光だけに特別の感動も無かった。この後、海岸に出て11世紀にノルマン人によって建てられた卵城のライトアップを眺めた。この卵城の名の由来はノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことによると言われている。

入り口辺りからのポンペイ遺跡

アポロ神殿の左側ディアナ像

アポロ神殿 

神殿右側のアポロ像

ホッレア(今は発掘資料庫)

広場(フォロ)の北側のジュピター神殿とヴェスヴィオ火山

フォロの南側

当時亡くなった人の形展示

丸い冷水浴場 

アッボンダンツァ通りの横断歩道

噴水

トルト路地のパン屋

居酒屋

小劇場

出口付近の遺跡

ナポリからカプリ島を望む

ヌオーヴォ城

ウンベルト一世ガレリア

プレビシート広場手前の噴水

プレビシート広場とサン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会

 ナポリ王宮

サンタルチア港の小島に作られた要塞の卵城

ナポリの桟橋

ナポリ海岸

11月1日(日)今日も快晴である。8時半ころホテルを出発して、ナポリ・ベベレッロ港に向かった。そして、ジェットホイル船で40分ほど乗り、南約30km離れたカプリ島のマリーナ・グランデに到着した。快晴で海の波は少しあるものの穏やかに見えていたので、有名な「青の洞窟」の観光は可能ではという期待を持っていたが、島の北西側にある「青の洞窟」近傍の波は大きいため観光ができないことが判明した(冬に近づくほど可能性が減る)。急遽、カプリ島の島内観光に切り替わった。カプリ島は外周17kmの島で、この島にはカプリとアナカプリの二つの町がある。マリーナ・グランデに到着後、まず、目の前にあるケーブル(フニコラーレ)で丘にあるカプリ町に上った。街には多くの白い壁の店が細い道を挟んで並んでいた。この細い道を通り、丘の上の小さなウンベルト一世広場や、アウグストゥス庭園などを訪れた。特に広場や庭園からの眺めが良く、小さい島であるが地中海に浮かぶ変化に富んだカプリ島の景色を眺めることが出来た。さらに、マイクロバスでカプリ町1kmほど離れたアナカプリ町へ行き、アナカプリから出ている1km以上もあるリフトに乗り、モンテソラーロ(589m)に上り、展望台からの眺めを楽しんだ。青い空、青い海を堪能した。「青の洞窟」には行けなかったが、やせ我慢ではなく、カプリ島観光の方が良かったように思えた。遅い目の昼食を取り、その後、港の海岸べりの店を見歩き、帰りの船を待ち、再び、ナポリに帰った。船上から地中海に沈む夕日を眺めることが出来た。そして、ナポリ・ベベレッロ近くのレストランで夕食を取り、夕暮れのナポリの海岸を眺めた。折り良く、きれいなナポリの夜景に加えて満月が空に出ており、イタリア最後の夜を楽しむことが出来た。

左はソレント右はカプリ島

カプリ地区

カプリ地区の公園から南側の断崖を望む

カプリ地区の公園からマリーナグランデ、更に向こうにソレントを望む

モンテソラーロ(589m)の展望台からファラリオーニの岩島群と遠くにソレントを望む

リフトからアナカプリ地区を望む

帰りの高速船からカプリ島を望む

高速船から地中海に沈む夕日

高速船から地中海に沈む夕日

ナポリの桟橋とヴェスヴィオ火山

サンタルチア港の海岸の夜景

ナポリの満月

11月2日(月)雨模様の久しぶりに曇った天気の中、午前7時半にホテルを出発し、再び、230km離れたローマに向かって出発し、午前11時頃到着した。そして、午後2時半にローマーを出発し、飛行時間5時間30分ほでドバイに午後11時頃到着し、ここで乗り継ぎ、11月3日(火)午前3時頃ドバイを出発し、飛行時間8時間50分ほどで午後5時20分に関空に到着した。

今回の旅行はアラブ首長国連邦のエミレイト航空でドバイを中継してイタリアへ行く方法を選んだ。ところが、これにより、ドバイでの中継時間が4時間以上もかかったため、日本とイタリア間の所要時間が非常にかかり、体力的にも消耗した。エミレイト航空はサービスが良いということであったので少し楽しみであったが、特に他の航空会社とサービス上何の変わりも無かった。今後の旅行には中継が必要な旅行は事前に詳しく調べなければならない。

中国上空の煙突からの煙

阿蘇山の噴煙?

石槌山?

剣山?

 

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