フランス大周遊紀行    

平成21年5月19日(日)〜5月28日(火)にかけてフランスを南から北に縦断する旅行した。フランスのパリは平成4年のヨーロッパ五ヶ国の旅の時に行ったが、他の都市には行っていないので今回実現させた。

5月19日(火)関西空港からエールフランス航空で午前11時50分に出発し、パリに17時15分に到着し、さらにパリ発20時10分発の航空機でニースに向かい21時40分に到着した。この後、ホテルにに向かい22時頃到着した。パリと日本との時差7時間(サマータイム1時間)なので、結局、ニースまでには17時間30分かかったことになる。関空・パリ間のほとんどはロシア領内を飛んでおり、この時期でもまだ大地はほとんどがまだ雪に覆われていた。ヨーロッパに入って緑の大地を眺めることができた。パリからニースに向かう時、午後8時を過ぎていたが、まだ明るく、エッフェル塔、モンパルナスタワー、凱旋門、サクレ・クール寺院などが眺められた。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

 ロシア北極海沿岸部の流氷

緑溢れるパリ近郊

ニースへ飛び立つパリ上空(右上部雲の下にエッフェル塔、その下部分に凱旋門)

右下部にモンマルトルの丘とサクレ・クール寺院

ニース上空

モナコ大聖堂

5月20日(水)朝8時30分頃ホテルを出発し、快晴の中、ニースの少し北約23kmにあるモナコ公国に向かった。

モナコ公国はヴァチカンに次いで世界で2番目に小さい国で、人口3万人で、面積は約2km2である。まず、元ハリウッド俳優グレ−ス・ケリーとレニエ大公が結婚式を挙げ、自動車事故でなくなったグレース・ケリー王妃が葬られているモナコ大聖堂を見物した。大聖堂は外観はごく普通の石造建築物であった。しかし、内部に入ると非常に奥行きが深く、石柱が高くそびえ堂々とした風格のある大聖堂であった。特に祭壇部の天井画は豪奢に見えた。次いで、小さいがそれなりに風格を感じるモナコ大公宮殿を外部観光した。モナコ港を展望できる場所に行き、港を眺めた。外港にはクイーン・メリー2の大型豪華客船が停泊していた。5月24日にはインディ500、ル・マン24時間レースと並ぶ世界3大レースの一つのF1グランプリがこのモナコの港周辺の一般道路を使って開かれるが、数か所の見物会場が眺めることが出来た。建物は山の斜面にひしめいており、港はヨットでひしめいていた。この後、モナコの南約7kmのところの海に迫り出した小さな岩山(標高427m)にあるエズ村に行った。

エズ村は14世紀から16世紀にかけてイスラム教徒のサラセン人からの襲撃を防ぎ、敵の接近がわかるように丘や山頂に築かれた城壁都市「鷲の巣村」のひとつである(内陸部には120ほどの村が点在している)。当然のことではあるが、道は狭く、アップ、ダウンばかりで、石造りの家が並んでいる。日常生活は大変なようだが、興味深い村である。村の入り口あたりに香水工場があり、工場見学をした。海を見下ろすレストランでの昼食後、ニースに戻り、シャガール美術館に行った。

シャガール美術館では彼独特の夢のような宗教画が多くかかっており、小さいが面白い美術館であった。シャガールの絵は私自身には思いつかないが、あまり深い精神性は感じられない。この後、「天使の湾」と呼ばれるニースの海岸を眺めた。気温は30度にもならないが、日差しが強いため、気温以上に熱く感じるのか、多くの人で海岸はにぎわい、日光浴ばかりではなく、水泳を楽しむ人も多く見かけられた。海岸から青空市場を抜け、噴水のある旧市街のマナセ広場を散策した。

教会内部

教会内部(祭壇付近の天井画)

モナコ大公宮殿

モナコ港とモナコF1グランプリ会場(5月24日)

モナコ公国の山側

岩山のエズ村

エズ村の路地

エズ村の熱帯庭園からの展望

ニースのシャガール美術館

シャガールの作品その1

その2

その3

その4

ニースの海岸

マセナ広場

サント・ビクトワール山

5月21日(木)今日も快晴で、ホテルを8時30分に出発した。ニースより海岸に沿って約177km南西に離れたエクア・アン・プロバンスに向かった。エクア・アン・プロバンスは数多くの芸術家に愛されたところで、近くにはセザンヌがよく描いた石灰岩サント・ビクトワール山を眺めることは出来たが、眺める角度がセザンヌとは異なっており、少し、がっかりした。ただ、エクス・アン・プロバンスからサロン・ド・プロバンスに向かう途中で、セザンヌと同じ角度のサント・ビクトワール山を遠くからではあるが眺めることができた。プロヴァンス地方は風の強い地方でもあり、風力発電の風車も多く見かけられた。エクス・アン・プロバンスは紀元前2世紀頃にローマ帝国の要塞の町として築かれ、17世紀から18世紀にはプロヴァンス王国の首都として栄えた。ここは画家セザンヌの生家やアトリエ、散歩道などと所縁の深いところである。ここではロトンドの泉からいくつかの温泉を備えたミラボー通りを通って、市庁舎、ステンドグラスの美しいサン・ソヴォール大聖堂などを訪れた。この後、37km離れたサロン・ド・プロバンスで昼食を摂り、さらに46km離れたアルルに向かった。

アルルはローマ帝国時代の遺跡を多く残す町で、紀元前にはカエサルが小ローマを築いたところでもある。そして、画家のゴッホも暮らしたところでもある。まず、ゴッホの描いた「跳ね橋」の復元されている場所を観光した。跳ね橋はのどかな田園風景のところにあった。ただ、復元場所は元の場所ではないとのことと老朽化しており、あまり興味は惹かれなかった。次いで、1世紀末頃に建設された大きな円形闘技場を観光した。今でも夏から秋にかけて闘牛が開催されているようである。遺跡としての風格を感じた。円形闘技場の塔からは赤い屋根の家並みとローヌ川を眺めることができた。そして、フォーラム広場ではゴッホの「夜のカフェ」所縁の店を見物したが、持ち主はゴッホの絵を間違って捉え、家の壁色を黄色に塗っていた。ゴッホの描いたのは白壁が電灯に照らされている黄色である。次いで、市庁舎、ミサが行われていたサン・トロフィーム教会を観光し、ゴッホが1986年に耳を切り落とし、数ヶ月入院していた病院が今は文化センターとして生まれ変わり、ゴッホの描いた花々の中庭を再現しているエスパース・ヴァン・ゴッホを観光した。この後、35km離れたアヴィニヨンのホテルに向かった。

ロトンドの泉(噴水の3つ像は正義、農業、芸術を象徴)

ミラボー通りの温泉

市庁舎と時計塔

サン・ソヴォール大聖堂

大聖堂内部

ステンドグラス

セザンヌ像

サント・ビクトワール山(セザンヌが描いた山の形に近い角度)

プロバンス地方は風が強いので風力発電を利用

ゴッホの「跳ね橋」

アルルの円形闘技場の内部

円形闘技場からの眺め

円形闘技場の外観

ゴッホの「夜のカフェ」とフォーラム広場

ゴッホの「夜のカフェ」

市庁舎と広場

サン・トロフィーム教会(ロマネスク様式)

教会内部(ミサの最中)

教会のステンドグラス

エスパース・ヴァン・ゴッホ

エスパース・ヴァン・ゴッホの中庭

サンベネゼ橋

 

5月22日(金)今日もよく晴れた朝を迎えた。アヴィニヨンは1309年にローマ法王クレメンス5世がローマでの派閥争いを嫌ってアヴィニヨンに法王庁を置いた。その後7代の70年間はカソリックの中心地であった。まず、「アヴィニヨン橋の上で」の歌で出てくる12世紀に建てられ、途中まで崩れているサン・ベネゼ橋に行った。鏡のような静かな流れのローヌ川に法王庁を背景に橋が架かっていた。ついで、パレ広場にある法王庁を観光した。隣にはノートル・ダム・デ・ドン大聖堂がある。法王庁は堂々とした雰囲気の建造物で、中の部屋も広々としているが、ほとんど装飾されたものは残っていないので、華やかさはなく無機質な感じがした。たまたま、中庭でバラの品評会が開かれていたので、少しは華やいだ気持ちになった。この後、23km離れたローマ時代の水道橋ポン・デュ・ガールを観光した。途中にはブドウ畑が広がっていた。ポン・デュ・ガールはガール川を渡る橋と言う意味で、この水道橋は3重構造で高さ49m、長さ275mの大きなもので、ローマ帝国の偉大さを誇示していた。ガール川ではカヌーによる川遊びが多く見られた。昼食後、232km離れたリヨンに向かった。

リヨンはソーヌ川とローヌ川の合流地点にあり、2000年以上の歴史を誇るローヌ・アルプ地方の中心都市である。そして、パリにつぐ第2の都市で人口が120万人である。ソーヌ川の西側の旧市街地の丘、フルヴィエールの丘にはノートル・ダム・ドゥ・フルヴィエール寺院がある。まず、この寺院を観光した。礼拝堂は非常に大きく天井は非常に美しく黄金色の壁画で装飾され、ステンドグラスも美しいもので、荘厳な感じを与えた。寺院にはノートル・ダムのつく名前のものが多くあるが、この言葉は「私たちの貴婦人」と言う意味を持っているとのことである。この後、この丘からリヨンの新市街地を見下ろすと、赤い屋根の続く街並みが美しかった。

法王庁(右)とノートル・ダム・デ・ドン大聖堂(左)

法王庁の右側

ノートル・ダム・デ・ドン大聖堂のマリア像

法王庁の内部(部分的に壁面にレリーフが残っている)

中庭でバラの品評会

法王庁内部

法王庁からのアヴィニヨンの眺め

法王庁内部

葡萄畑

水道橋1

水道橋2

ガルドン川(ローヌ川の支流)

リヨンのソーヌ川沿い新市街地

リヨンのソーヌ川沿い新市街地

フルヴィエールの丘にあるノートル・ダム・ドゥ・フルヴィエール寺院

ノートル・ダム・ドゥ・フルヴィエール寺院

寺院礼拝堂

ステンドグラス1

ステンドグラス2

フルヴィエールの丘からのリヨンの街

5月23日(土)今日も快晴の中、382km離れたブルージュへ向かった。そして、ブルージュに昼頃到着した。この間、北に行くほど牧場が多くなってきた。ブルージュの街は木組みの家並みが多く見られた。そして、ここでは、14世紀に完成されたゴシック様式のブルージュ大聖堂(サンテティエンヌ大聖堂)を観光した。この大聖堂の入り口の上にはゴシックの最高傑作とされる「最後の審判」のレリーフがあるが、現在は修復中であった。礼拝堂内はシンプルで飾り気があまりないが、堂々とした大きなものであった。そして、ステンドグラスが多くあり、これは非常に美しかった。この後、125km離れたロワール地方へ向かった。

ロワール地方は古城が多い地方で、ロワール川沿いに多くのお城がある。まずこの地方で最も壮大かつ華麗と言われるシャンポール城に行った。この城は庭園を含めた広さが約55kmと広大なもので、16世紀初頭にフランソワ1世により造られたもので、設計がダ・ヴィンチではと言われている。ここで、階段は2重螺旋階段で、上る人と下りる人が出会わないようになっているのが特徴である。各部屋にも豪華さがうかがうことができた。次いで、54km離れたアンポワーズ城をロワール川越しに眺めた。この城はフランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、様々の設備を設計させ、晩年を過ごさせたところである。この後、27km離れた古城めぐりの拠点の町トゥールに行き、ここで、宿泊した。

牧場が多くなる

木組みの街並み

ブルージュ大聖堂

最後の審判のレリーフの修復中

ステンドグラス1 

ステンドグラス2

大聖堂内部

麦畑

シャンポール城

城内部1

城内部2

城内部3

2重らせん階段

庭園

庭園からの眺め

ロワール川対岸からのアンポワーズ城

5月24日(日)快晴の中、266km離れたモン・サン・ミッシェルに向かい、昼前に到着した。モン・サン・ミッシェルは708年ノルマンディ大司教が大天使ミカエルのお告げを受けここに修道院が造られた。その後、増築を重ね、巡礼の地として栄えた。モン・サン・ミッシェルは標高80mの岩山にあり、尖塔の高さも80mある。この時期は大潮の時期なので、昼の干潮の時には遠くまで潮が引いていた(一般的な干満の差は15mと言われており、大潮の時は18km沖合いまで潮が引くと言われている)。1877年に島を繋ぐ道路ができているため、島の近くの駐車場には多くの車とバスがあり、干潟を歩く人、修道院の方に向かう人など多くの人でにぎわっていた。バスを降りると早速、カメラを向けたが、確かに修道院の尖塔を中心にして均整の取れた三角形の美しい姿である。修道院に向うには、グランド・リュ(参道)と呼ばれるメインストリートを上っていくが途中多くの店があり、道幅は狭く多くの人が上り下りして歩き難いほどであった。修道院の聖堂や各部屋は装飾のない素朴なものであるが、風格と威厳が感じられた。西のテラスからの見渡す限り干潟は興味深く眺めた。モン・サン・ミッシェルのライトアップの姿も美しいものであった。

モン・サン・ミッシェル遠望

モン・サン・ミッシェル(干潮時)

グランド・リュと呼ばれるメインストリート 

店も人もひしめきあっている

修道院を望む

礼拝堂

西テラスからの眺め1

見渡す限り干潟、右端の小さな島(トンブレム島?大きさ60m)へ歩いて渡るツアーもある。

礼拝堂1 

礼拝堂2

回廊

中庭

尖塔

荷物の上げ下ろしの滑車(人が入って回したとのこと)

修道院内部

修道院内部

修道院内部

サン・ミッシェル像(尖塔の上にあるのと同じ大きさのもので、尖塔の像は金色)

修道院

午後8時頃(満潮時)(干潮時の道路下駐車場が水没)

 午後10時過ぎの日没のモン・サン・ミッシェル

霧の中わずかに見えるモン・サン・ミッシェルと羊の放牧

5月25日(月)霧に煙る中、パリに向かってホテルを出発した。惜しいことにモン・サン・ミッシェルは霧の中であった。まず、196km離れたオンフルールに向かった。オンフルールは北フランスで最古の港町で、印象派画家たちに愛された美しい港町である。小さな港町ではあるが、ヨットが多く係留されており、確かに絵になる風景である。ここにはサントカトリーヌ教会があり、15世紀に地元の船大工たちが建設したというフランスで唯一の木造建築である。外壁はうろこ状の木片で覆われており、木造の柱で、堂内は暖かみのある教会であった。次いで、昼食後、93km離れたルーアンに向かった。

ルーアンは10世紀にノルマンディ公国の首都として繁栄した町である。中心部には1250年に建造されたゴシック様式のルーアン大聖堂(ノートルダム大聖堂)がある。尖塔の高さは151mでフランスで一番高い。モネがシリーズ画を描いたことでも知られている。天空を突き刺すように聳えている。礼拝堂も非常に天井が高く、石柱が聳えていた。そして、ステンドグラスも美しかった。この街も木組みの家が多く見られた。次に殉教者ジャンヌ・ダルクに捧げられた近代的な様式のサント・ジャンヌ・ダルク教会に行った。この教会は近代的な様式の教会で、外観を見ただけでは教会とは分からないくらいで、また、内部の壁面はほとんど、ステンドグラスで覆われており、すっきりとした美しい教会であった。この後、132km離れたパリに向かった。

夕刻パリに着き、ホテルまでの間に車窓観光ができた。約17年前の5カ国ヨーロッパの旅の時以来である。パリの自由の女神がエッフェル塔の近くのセーヌ川の中ノ島にあることは始めて知った。オベリスクのあるコンコルド広場を通り、凱旋門も眺めることができた。凱旋門はナポレオン1世がフランス軍の栄光をたたえるために作らせ、1836年に完成されたもので、設計はシャングランで、高さ50m、幅45mである。

ノルマンディ地方は風が強いため風力発電が活躍

メリーゴーランド(フランスではよく見かける遊戯施設である)

サントカトリーヌ教会(木造の教会)

教会のステンドグラス

教会内部

オンフルールの港町

オンフルールの港町

ルーアン大聖堂

大聖堂内部1

大聖堂内部2

パイプオルガン

側廊下

ルーアン大聖堂正面

 

木組みの街並み

サント・ジャンヌ・ダルク教会

教会内部ステンドグラス1

教会内部ステンドグラス2

教会内部ステンドグラス3

パリの自由の女神とエッフェル塔

コンコルド広場

セーヌ川沿いの本屋

バスチーユ広場の革命犠牲者記念柱

コンコルド広場からエッフェル塔を望む

凱旋門1

 

凱旋門2

凱旋門3

 

5月26日(火)雨模様の中午前中の市内観光に出かけた。午後は自由行動で、オプションとしてベルサイユ宮殿があったが、17年前に行ったので、今回は自由行動で市内観光することにした。まず、エッフェル塔に行き、シャイヨー宮の側からエッフェル塔を眺めた。その後、車窓より、凱旋門、ノートル・ダム寺院などを眺め、今日はストの日と言うことで休館ではと恐れながら、オルセー美術館に行った。幸い、ストと関係なく開館されていた。そして、時間のあまりない中、急ぎ足で、印象派を中心に鑑賞した。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万博のためにオルセー駅として建設されたもので、印象派の作品を中心に展示されている。そして、昼食後、オペラ座近くで自由行動となったので、まず、オペラ座(オペラ・ガニエル)の館内見物に行った。オペラ座は1862年にナポレオン3世により、シャルル・ガルニエの設計で作らせたもので、高さ36m、幅15m、奥行き24mの舞台をもち、5層の観客席で2200人が収容できる。18世紀のサロンを拡大、発展させたものと言われている。館内は規模は小さいが、ベルサイユ宮殿ではと思うほどの豪華さであった。場内はバレエ練習のため入れなかったが、少し、小窓から垣間見ることができた。次いで、地下鉄を利用して、エッフェル塔の最上階に上がり、下界を見下ろすことにした。うわさでは、何時間も順番待ちをしなければいけないとのことであったが、実際は30分ほどの待ちであったのと天気も朝方だけが悪かっただけで、午後になると晴れてきたので、楽しく下界を見下ろすことができた。エッフェル塔は1889年の万博のモニュメントとしてと革命100年を記念して建てられたもので、設計者の名前アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルから名付けられたものである。高さは320mあり、3階の展望台は276mある。夕食までにまだ時間があったので、オペラ座まで地下鉄で戻り、オペラ大通りを通り、休館のルーブル美術館を通りセーヌ川のカルーゼル橋まで歩き、また、オペラ座まで戻った。

エッフェル塔(シャイヨー宮から)

クレベール大通りからの凱旋門

ノートル・ダム寺院1

ノートル・ダム寺院2

オルセー美術館

美術館内部

ミレー

モネ

マネ

マネ

ドガ

モネ

ゴッホ

セザンヌ

ルノワール

スーラ

スト決行の団体

オペラ座1(ガルニエ)

オペラ座2

オペラ座内部1

オペラ座内部2

オペラ座内部3

オペラ座内部4

オペラ座内部5

オペラ座内部6

オペラ座内部7

モンパルナス方面(東南方向

西南方向

自由の女神

シャイヨー宮側を望む(北西方向)

北方向

凱旋門を望む

北東方向

サクレ・クール寺院を望む

ジャック・リュフェル広場から

カルーゼル凱旋門とルーヴル博物館

カルーゼル凱旋門から凱旋門を望む

セーヌ川カルーゼル橋より

セーヌ川カルーゼル橋より

 

5月27日(水)午前10時ホテル出発し、パリ発午後1時55分の航空機で、5月28日(木)の午前8時25分に関空に到着した。

今回の旅行は天候に恵まれ、楽しく過ごすことができた。大阪からフランスに向かうときは新型インフルエンザの影響があるのではと心配して、マスク着用で行ったが、フランスに着いてみるとまったく誰一人マスクを着用しておらず、マスクをしているのは日本人のみであった。われわれも、フランスについて後はマスクを一切しなかった。

 

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