ベトナム・カンボジア紀行    

平成20年1月20日(日)〜1月27日(日)にかけて8日間のベトナム・カンボジア旅行をした。そもそものきっかけはベトナムで食品会社の現地社長として成功している同期生の誘いで、24名の家族および同期生がベトナムに行こうと思い、更にカンボジアの世界遺産で有名なアンコール遺跡も日程に加えた。ベトナムはかつては社会主義の北ベトナムと資本主義の南ベトナムに別れていたが、北ベトナムの台頭と南ベトナムの疲弊に対するアメリカの参戦により引き起こされたベトナム戦争でのアメリカの敗北撤退により、ベトナムが統一され、現在のベトナム社会主義国家ができた。国土の大きさは日本より1割ほど小さく、人口は3割ほど少ないが日本と同じように南北に細長い国である。このため南北で大きく気候が異なる。今回訪れたのは南のホーチミンと中間地点のダナン近辺であるが気候的にもホーチミンとダナンとは大きく異なっている。

1月20日(日)関西空港からベトナム航空で20日午前11時に出発し、ホーチミンに2時30分頃到着した。ホーチミンに近づくと上空からはメコン川であろうか大きく蛇行した大きな川が眺められた。日本とベトナムとの時差は2時間である。ホーチミンはベトナムで最大の都市で人口も600万人余である。現地ガイドと友人の出迎えを受け、ホテルチェックインには少し時間があったので、非常に大きなベンタイン市場に出かけた。外の気温は30度くらいで、蒸し暑さもあり、大阪の9月に逆戻りしたように感じた。途中、非常に驚いたのが、オートバイの多さであり、1台のオートバイに乗っている人数にも驚く、当然大きさは日本のオートバイと同じで、日本のものは高級品と見られている。このオートバイに2人乗りは当たり前で、3人乗り4人乗り、最高は5人乗りもあるということである。実際に見かけたのは4人乗りで、パパが運転で後にママが乗りパパとママの間に一人の子供が挟まって乗り、パパとハンドルの間にもう一人の子供が乗っていた。これ等のオートバイが数では少ない自動車を圧倒していた。横断歩道においても渡り切るのに勇気がいる。ベンタイン市場は非常に広大であり、ここで、衣食がなんでも揃うようである。内部の通路が狭くてぎっしりと店がひしめいており、人も多くむせかえっていた。果物もさすが南国で、はじめて見る果物もあり、店に山積みされていた。この後、ホテルに行き休憩の後、ドンコイ通りを散策し、ベトナムのアオザイなどの絹製品や刺繍などを見て歩いた。ホーチミン市のようなベトナム南部は11月から4月頃が乾期にあたり、雨が少なく、5月から10月が雨期にあたる。雨期と言ってもスコールが降ると言うことである。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

ベトナム航空

ホー・チ・ミン上空

ホー・チ・ミン市街

ベンタイン市場内 その1

市場内 その2 

市場内 その3

ドンコイ通りの絹専門店  

ディナー民族音楽

シェムリ・アップ上空     

シェムリ・アップ空港     

1月21日(月)朝6時頃ホテルを出発し、カンボジアのアンコール遺跡観光のため、ホーチミン空港に向った。8時45分出発し、シェムリアップ空港に9時45分に着いた。カンボジアは入国に際してビザが必要である。我々は日本国内でビザを事前に取る方法ではなく、シェムリアップ空港で入国時にビザを取得可能とのことであったので、写真のみを用意し、書類は旅行会社に用意してもらって、入国した。空港から入国状況を見るとこの空港から入国するほとんどの外国人はここでビザを申請しており、非常に混雑していてビザ取得まで1時間ほどかかったように思う。ビザ取得には20米ドル(米ドルでないとだめ)が必要であった。ここが済むと空港使用税をまた25米ドルを払い、ようやく荷物をもらい、現地ガイドと合流できた。今回、我々の一人が写真を紛失し、ビザが発行されないのかどうか心配していたが、写真なしでビザ申請をしたところ2米ドルを加算されただけで無事ビザが下りた。シェムリアップの暑さはホーチミンよりも少し暑いように思った。

タ・プローム観光に向った。タ・プロームはシェムリアップ空港から10kmほど離れたシェムリアップ市街を通り、さらに5kmほど離れたアンコール遺跡で、有名なアンコール・ワットの北東に隣接している。シェムリアップ市は10万人余りの小さな市で、綺麗なホテルなどが国道沿いにあり、観光の静かな街のようであった。一歩、市街から離れると電気も届いていない未発展の地であり、痩せた白い牛などが草を食んでいた。タ・プロームは東西1000m、南北600mのラテライト(赤土)の周壁を持ち、当時12000人以上の僧侶が住んだ仏教寺院で、建築様式は平面展開型でバイヨン様式に属している。これは12世紀にジャヤヴァルマン7世が建てた。寺院全体が荒れており、建材の石が崩れ瓦礫化しており、形を留めている塔や回廊もようやく形を留めている感がした。そして、強烈に目に飛び込んできたのはカジュマル(榕樹)の数十mの高さの大木の根に砂岩の回廊の屋根が押しつぶされそうになっている光景である。これは今までテレビなどでアンコール遺跡の放映で多く見た光景であるが、実際に見ると大木の根が岩を食いつぶしているようで恐ろしささえ感じた。壁面には所々、仏やいろいろの文様のレリーフが残っていた。そして、外周壁西塔門から出たが、この西塔門の上部には観音菩薩の顔が四方に刻まれていた。 

シェムリアップ市街      

タ・プロームへの途中の白い牛   

タ・プローム駐車場の土産店   

タ・プローム   

タ・プローム  第3周壁    

カジュマル(榕樹)その1    

カジュマルその2    

カジュマルその3     

第3周壁   

第2周壁    

外周壁西塔門(観世音菩薩の顔)    

環濠を隔ててアンコールワットの西塔と中央祠堂、4隅の尖塔   

タ・プローム観光の後、昼食を取り、気温も上がってきており、暑さが厳しいので、ホテルにチェックインし、しばらく休憩してから、アンコール・ワットの観光に向った。地元の人も気温が高い12時から2時くらいまで休憩するようである。アンコール・ワットはアンコール遺跡群を代表する遺跡で、スールヤヴァルマン2世により、12世紀にヒンズー寺院として建てられ、王の死後は霊廟となり、さらに後に仏教寺院となった。このアンコール・ワットは幅190mの大きな環濠に囲まれ、東西1500m、南北1300mの大きな寺院で、正門にあたる西塔門から350m参道で十字型テラスを経て第1回廊に至る。その間に左右に経蔵と聖池がある。回廊は第1、第2、第3回廊があり、第1と第2回廊の西側の間に十字回廊がある。第3回廊の4隅には尖塔があり、中央に高さ65mの中央祠堂がある。今回は第3回廊は立ち入り禁止のため、第1、第2回廊、十字回廊を見学した。アンコール・ワットはさすがに保存状態が良く、側壁のいろいろな文様のレリーフも状態良く保存されており、堂々とした風格のある寺院であった。この後、プノム・バケン山頂からの夕陽鑑賞に向った。

西塔門(尖塔の先端は崩壊)     

外周壁内

聖池からの5尖塔    

第1回廊 

レリーフ その1   

その2    

その3   

その4     

第3回廊への階段と4隅の尖塔と中央祠堂   

第2回廊  

レリーフ 

プノム・バケン山頂入り口(右へ登る)、中央の階段は昔の寺院に通じる険しい階段(通行禁止)   

プノム・バケン山は高さ65mの丘で山頂にヒンズー教寺院遺跡がある。この寺院は9世紀末にヤショヴァルマン1世が第1次ヤショダラプラ都城の中心寺院として建設した。6層の基壇をピラミッド型に築き、その上に5つの祠堂があり、そして、今は尖塔は崩落しているが中央祠堂がある。この建築様式はバケン様式と呼ばれている。山頂から寺院の最上段に上がるには非常に急な磨り減った階段を登るので、多くの人はこわごわ上り下りしていた。丘のふもとから登山道は多くの人が連なって登っていたので、最上段に登るとなおさら非常に多くの人で混雑した状態で夕陽の入りを待たねばならなかった。上から眺めるとジャングルの中に遺跡があることがよくわかる。南東の方向にアンコールワットが小さく望むことが出来た。夕陽の入り少し前に麓に下り、遺跡のレリーフにも沢山見ることができるアプサラダンスの実際のショーを見ながら食事の予定であったが、ショーが始まる直前に会場が停電というアクシデントに見舞われ、ローソクの下で食事のみをしてホテルに戻った。ホテルは停電はしていなかった。原因は何であったのであろうか。カンボジアの電力事情は良くないと言うことか。

プノン・バケン山頂寺院   

 プノム・バケン山頂から南東アンコール・ワットを望む   

プノム・バケン山からの夕陽    

ホテルSOFITEL PHOKEETHRA ROYAL ANGKOR   

1月22日(火)快晴の中、早朝ホテルの庭を散策した。池には蓮の花が咲き、庭にも名前は分からないがいくつかの木の花が綺麗に咲いていた。本当に綺麗なホテルである。この後、アンコール・トムに向った。アンコール・トムとは、城壁と環濠に囲まれた巨大な都城のことで、12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世により第4次ヤショダラプラの都として築かれた。アンコール・トムの名は後で付けられたそうである。3kmの正方形で、高さ7.5mのラテライトの城壁で、環濠は幅100mである。アンコール・トムには南門から入ったが、門に到るまでの道路の両側には兵士のような石像が並んでいた。門を入って更に進むと中心部にはバイヨン寺院がある。バイヨン寺院は12世紀後半から13世紀にかけて、ジャヤヴァルマン7世と8世の時代に改変と増築が重ねられた。建物は南門の塔とも同じであるが四面に観世音菩薩の顔と言われる人面がある塔堂が特徴的な建築様式、すなわちバイヨン様式である。外壁は城壁と同じと考えられている。構造は二重の回廊とその中心にある高さ43mの中央祠堂からなり、中央祠堂を取り巻いて16の塔堂がある。回廊のレリーフもいろいろあり面白かった。このあとパプーオンの前を通り、象のテラス、ライオンのテラスの前を通り、北門からプレア・カンに向った。プレア・カンは12世紀にジャヤヴァルマン7世により作られたもので、これもバイヨン様式の建物で、大きさは東西820m、南北640mの大きな仏教寺院遺跡である。プレア・カンは「聖なる剣」を意味する。

アンコール・トムの南門 

南門   

バイヨン南面     

バイヨンの壁面レリーフ    

柱のレリーフ(アプサラ)    

柱のレリーフ(アプサラ)    

壁面レリーフ     

第2回廊   

中央祠堂    

壁面のレリーフ(デヴァター)    

バイヨン(北側から)    

プレア・カンの西塔    

プレア・カン   

中央祠堂 

    

 

東塔門 

ネアック・ポアン   

次いで、ネアック・ポアンに向った。ネアック・ポアンは12世紀にジャヤヴァルマン7世によって建設されたもので、建築様式はバイヨン様式で、正方形の池(水は枯れている)の中心に塔堂があり、各辺に小さな正方形の池が隣接している。各辺の中心部に小さな祠があり、各4つの祠には象、馬、人、猿の顔がある。中央祠堂東の傍には馬の石像がある。この建物はヒンズー教の説話を具象化した説話的・物語的空間を表わしているということである。私としては、これを見学して特に興味を引くようなものではなかった。アンコール・トム、プレア・カーン、ネアック・ポアンと徒歩で回った。この後、昼食を取り、その後プレ・ループに向った。

   

祠(人面)

プレ・ループは961年にラージェンドラヴァルマン王により作られたヒンズー教寺院遺跡である。都がコー・ケーからアンコールに戻った時に最初に建てられた国家寺院である。中央部のピラミッド状基壇部の塔を囲む長方形の建物が特徴的である。このプレ・ループ様式の遺跡は北にある東メボンも同じである。主材料はレンガで、砂岩も使われている。外周壁は東西127m、南北117mで東西南北に塔門がある。相当崩壊しており、そのためか古さを感じた。次いで、東メボンはプレ・ループより前の952年にプレ・ループと同じ王により作られたヒンズー教寺院である。ここの平地部は人工湖(バライ)で、寺院が島状態であったという。外周壁は東西126m、南北121mである。ここを観光後、ベトナムに戻るために、シェムリアップ空港に向かい、シェムリアップ空港を17:20出発し、ホーチミン空港に18:20に到着し、夕食を取りホテルに行った。これで、アンコール遺跡を駆け足で回ったが、ジャングルの中の遺跡であるが、遺跡を回っている限り、ジャングルの中という実感はないが、少し高いところから遺跡の外側を眺めるとジャングルの中の遺跡というのが実感できる。逆に考えれば、ジャングルに覆われていた遺跡が今や学術のためか観光のためかは分からないが、遺跡として開発されすぎているような感じがして、少し、興ざめた思いもしなくもなかった。しかし、兎も角、東南アジアでは最も有名なアンコール遺跡にこれてよかったと思う。

プレ・ループ   

プレ・ループ の中央基壇から望む

東メボン  

 

             東メボン  

1月23日(水)良い天気の中、中心街から西にある工業団地内のエースコック・ホーチミン工場を1時間ほど見学した。途中は朝の通勤ラッシュのため本当にオートバイの洪水のなか渋滞に悩まされながら工場に着いた。この工場は原材料や社員などの衛生面の管理が徹底されており、日本人は非常に少なく、副社長以下の管理職は現地人に任されており、現地人にとってやりがいのある会社のように思えた。この工場の見学後、ホーチミンの南約60kmほど離れたミト市に向った。ミト市はメコンデルタにあるが海岸まではまだ50kmほどある。ところが、ここはメコン川クルージングの拠点になっている。我々は船に乗り、メコン川を10数分クル−ジングをし、中州にある島に上陸した。このクルージングした川はメコン川としてデルタ地帯を流れる多くの川の中の一つ川であるが川幅は非常に広く漁船や運搬船などが沢山運航し、岸辺には多くの船が繋がれていた。また、水上家屋も川辺に沿ってひしめいていた。中州の島(タイソン島?)に渡ると島内にはいろいろな果物が栽培されており、島内に幅10mほどの水路がいくつもあるようだ。このうちのひとつの水路を4人乗りの小舟で2人の船頭に漕がれて、10分余りの水路巡りを楽しんだ。水路脇に茂る木は沖縄で見られるようなマングローブを頭に描いていたが、実際はニッパヤシがほとんどでった。水路から川に出たところで先ほど島まで運んでくれた船が待ち受けており、それに乗り換え、元の岸に戻り、1時間半ほどの時間の後ホーチミン市に着き、そしてホテルに戻った。ニッパヤシに覆われた水路のクルーズより、昔旅行した沖縄の西表島でのマングローブのクルーズの方が面白かった。

ホーチミン市街の朝のラッシュ   

道路沿いのマンション

川沿いのバラック小屋(終戦直後の大阪を思い出す)

ミト市のクルージング船着場 

 

中洲島内のお土産店  

マンゴやパパイヤなどの果物栽培   

島内の水路  

    

フエ市内  

1月24日(木)早朝空港に行き7:00に出発してフエ市の空港に8:20に到着した。フエ市は生憎雨であった。フエ市はベトナムの丁度中間にあり、暑さはホーチミンよりしのぎ易いが、冬は乾期のホーチミンに対して、冬は天候の悪い日が多いようである。また、後の写真で示しているが、3期作の米の田植えの時期でもあった。雨の中さっそくグエン朝王宮観光に出かけた。グエン朝は1802年から1945年まで続いた。王宮の広さは520haでこの中には100をこえる建物があり、第一外壁は高さ6.6m厚さ21m長さが10kmに及び、北京の紫禁城に近づけようと考えたという。我々は王宮の午門から大和殿、世祖廟そして、顕臨閣などを観光したが、生憎雨のためか、それぞれの建物の華やかさがあまり感じなかった。確かに、北京の紫禁城と比べると紫禁城は十年ごとにいろいろな補修をしているため全体がまばゆいほど華やかに見えるので、見劣りはする。しかし、全体としてはやはり規模の大きい王宮ためか堂々とした落ち着いたたたずまいであった。次いで、グエン王宮の宮廷で使用されたもの(家具や装飾品)を展示している宮殿博物館に向うのにシクロ(三輪自転車)に乗って移動した。館内はそれほど目を見張るものはなかった。

王宮城壁  

    

王宮午門   

大和殿   

 

 

 

世祖廟

 

世祖廟

顕臨閣

顕臨閣の鼎   

太平門

シクロ(三輪自転車)

宮殿博物館   

博物館内部  

博物館内部  

城壁

ティエンム寺院  

 

 

本堂

本堂 

盆栽が多く置かれている境内

昼食後、ティエンム寺院に向った。この寺院は1601年に建立された。寺院の入り口には8角形の塔があり、高さは21mで7層の塔が特徴的である。この寺院の僧侶がベトナム戦争に抗議の焼身自殺をした時にサイゴンまで乗っていった車オースチンが敷地内に展示されていた。日本の場合、仁王様が門のところにあるがこの寺院には写真のような像があった。次いで、双胴船に乗ってフォン(香)川下りをした。生憎の雨なので見通しも悪く余り面白くはなかった。船着場のすぐ傍にグエン朝12代目のカイディン帝廟があり、ここを観光した。ここは1931年に建造された西洋風のデザインを取り入れた廟で、特徴的なのは廟内の壁面を陶器やガラスの欠片を使いモザイクで種々の模様を描き非常に華麗さを演出していた。ただし、廟としては少し派手に思えた。この後、トゥドック帝廟を観光した。トゥドック帝廟はグエン朝4代目のトゥドック帝が1867年建造したもので、夏には離宮として使われていた。ここには大きな池があり、この景色は「インドシナ」という映画に使われたとのことである。このあとレストランで宮廷服を着て宮廷料理を食べた。実際には食べにくいため食べる前に宮廷服を着ただけに止めた。

香(フォン)川の川下り(双胴船)からの景色 

カイディン帝廟   

祭壇 

 

 

天井 

6845

トゥドゥック帝廟   

 

 

 

ホテルからの景色(フエ市街)   

1月25日(金)今朝も雨模様であった。フエから途中雨に霞んだ農村風景を眺めながら80kmほど南のダナンに向った。途中、ダナンに近づいたところでチューソン山脈が海に迫り出したところのハイバン峠(一部はトンネルが出来ている)を越えダナンに着いた。ダナンはベトナム戦争のときアメリカ軍の上陸で激しい戦闘が展開されたところである。いまでも、かまぼこ型のアメリカ軍の兵屋の残骸も見られた。海岸は日本の九十九里浜のように長く綺麗に続いている。ダナンについた後ようやく雨は上がってきた。ダナンはカン・ナム省の省都で、カン・ナム省は古代史的にはチャンパ王国が栄えたところである。今の人口は90万人である。まず、チャム博物館に行った。チャム博物館はチャンパ王国遺跡から出土した美術品を展示しており、ほとんどが石像や石のレリーフである。それほど大きな美術館ではないが比較的多くの展示物があり、面白い像やレリーフが展示されていたが、時間に余裕がなかったので急ぎ足で見た。この後ホテルにチェックインし、昼食後ホイアン市内観光に出かけた。ホイアン市はダナンの南に10km余のところにある。ホイアンは16,7世紀には南ベトナムでの国際貿易の中心であった。その古い街並みの残る街である。この町に入るだけで入場料が取られる。ホイアンに着いて、まず、絹製品の工場見学をし、蚕の養殖、繭、絹糸、絹布、絹製品を見学した。女性は衣服のショッピングに励んでいた。この後、ホイアンの街並みを散策した。17世紀初めに作られた屋根付きの小さな橋、日本橋があった。店はほとんどみやげ物店で、絹アートや絵の美術品、彫刻、服飾、等々が軒を連ねていた。ただ、なんとなくだらだらと歩いたと言う想いであった。特に古い風情というより雑然とした感じ持った。この後、ダナンのホテルに向かった。途中、大理石で出来た5つの山、五行山の麓にある大理石製品工場を見学した。本当に多くのいろいろな大理石の彫刻像が置かれており、興味を持って見て回った。道路を挟んで非常に多くの大理石製販売の店が並んでいた。ホテルは海岸沿いにあり、まさしく、リゾートという雰囲気いっぱいのホテルであった。

フエ市街  

   

チャム彫刻博物館  

  

 

 

 

 

3期作の田植え  

カイコ  

繭 

絹糸の刺繍 

刺繍画廊即売  

ホイアンの街

日本橋   

三叉路、右は川沿いの街路  

 

 

 

五行山山麓大理石工場  

 

 

五行山  

FURAMA RESORT ホテル 

1月26日(土)朝は10時30分ホテル発というゆっくりしたものであったので、海岸を散策し、ダナンの綺麗な長い浜辺を満喫した。この後、飛行機で13:40ダナンを出発、14:50にホーチミンに着いた。関空行きの飛行機は夜中の0:10であるため、夕食まではレストラン近くのスーパーマーケットなどにショッピングに出かけ、夕食後は友人のマンションの空き室で休憩し、1月27日(日)0:10ホーチミン空港を出発し、7:00に関西空港に着いた。

今回は同期の友の8日の旅で、年齢も四捨五入すると70歳という人の集まりで、インターネットで調べるとベトナム、カンボジアではマラリア、デング熱、生水に警戒するべきとあったため、少し、不安な気持ちを持ちながらの旅であった。しかし、案ずるより産むが易しとのことわざどおり、行ってみれば、アンコール遺跡などにおいても西洋人の旅行者などは半パン、Tシャツはまだ良い方で、裸で自転車を乗っていたものもいたほどであり、マラリア媒体の蚊もびっくりするほどであり、プノン・バケン山での人ごみは蚊も驚いて逃げるほどであった。お陰で蚊の襲撃もなかった。ベトナムにおいても、メコンデルタ地帯は要注意と言われていたが、蚊の襲撃の気配もなく終わった。ホーチミンに到ってはオートバイの数、排気ガス、人ごみに蚊も圧倒されるほどであった。ただし、水はやはり、どちらの国においても良くないようである。貨幣についてはカンボジアではリエル、ベトナムではドンであるが、驚いたことに米ドルですべてが通用し、場所によっては米ドルの方が歓迎されるほどであった。また、カンボジア、ベトナムの両国において人々の経済的格差の大きいのにはやはり考えさせられた。ともかく、良く知った仲間楽しく大きな災いもなく8日間を過ごせたことは喜ばしいことであった。

漁具(佐渡が島のたる船と同じ?)

ダナン市上空  

 

 

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