北京4日間紀行

昨年9月に西安・大連8日間、今年の9月にシルクロード9日間と中国の歴史の一端を観る旅をした。しかし、近代、現代の中国の中心である北京には、飛行機の中継点として立ち寄ったが、見物、見学は行っていなかったので、この平成18年11月4日(土)から7日(火)にかけて旅行した。

11月4日(土)

午前8時に集合し、関西空港10時発のANA航空で、北京に向った。大山をはじめ高い山では紅葉が始まっているようであった。北京空港に12時30分に到着した。今回は日本からの添乗員はなく、現地添乗員のみであった。また、関西空港での説明では我々は1班に属すると言われ、特に参加人数は確認しなかったが、北京空港に着いて分かったが、1班と2班からなっており、それぞれが20数人づつであることを知った。更に後で分かったことであるが、別の飛行機便で、少し遅れて着いた第3班18名がいた。先発の2台の観光バスで北京空港から頣和園に向った。頣和園は北京市街の西北にあり、北京空港は北京市街から東北20km歩とのところにあり、空港からは約1時間で頣和園に到着した。頣和園は王室公園では最大のもので、最も有名な古典庭園の一つであり、12世紀の金時代に始まり、明・清時代には帝王の離宮となった。しかし、1860年に英仏連合軍によって破壊され、略奪され、建物の多くが焼失したが、西太后が海軍の予算を流用して再建した。この頣和園は昆明湖とこの湖を掘った時に出た土により出来た万寿山から成り、湖の周辺には仏香閣をはじめ西太后の謁見の間であり現在修復中である仁寿殿、光緒帝が10年間幽閉された玉瀾堂、舞台がある徳和園、西太后の寝宮の楽寿堂など沢山の建物があり、また、いろいろな絵が極彩色で描かれた長廊がある。この頣和園で約1時間半程園内を観光した。この日の北京は快晴ではあるが、少し風があり、湖面は波立っていたが、厚手のコートを羽織っているためかあまり寒さは感じられなかった。湖畔に立っての眺めは湖が大きく、背景に大きな変化がないためか特別の思いに浸るほどのものでもなかったが、市民が休日にのんびりとくつろぐのには良い場所である。この頣和園には日本人を含め外国人が年に300万人訪れ、国内は3000万人が訪れるとのことであった。この後、ヒスイ店に行き、目の保養をした。途中、2年後の北京オリンピックのメインスタジアムになる建築途上のものを眺めることが出来た。夕食を済ませた後、北京の北西60km程のところにある八達嶺長城のライトアップの観光に出発した。8時頃八達嶺に到着した。十五夜の1日前くらいのほとんど丸い月が綺麗に八達嶺の上に出ていた。そして、八達嶺長城の女坂がライトアップされており、暗い山を背に長城が浮かび上がっていた。また、オリンピックのマークのネオンも大きく光っていた。気温は昼間とは違い相当下がっているようでコートの下に厚手のベストを羽織ったが、寒かった。どうも明日から急激に温度が下がる前触れの様である。この後、八達嶺から10km程北京市街に近づくところにある居庸関のホテルに向かった。ホテルは四合院造りで、中庭を廊下を隔てて平屋の客室が取り囲んでおり、四合院がいくつも連なった形であり、ここも、ホテルの輪郭がネオンで電飾されていた。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

大山上空

北京空港

頣和園

麒麟像と修復中の仁寿堂(幕に絵が描かれている)

頣和園の奇石昆明湖と仏香閣を望む

奇石(青芝岫)

長廊

十七孔橋とテレビ塔遠望

仏香閣

昆明湖

高層住居群

建設中の北京五輪メイン会場

八達嶺のライトアップされた長城

左の写真の望遠写真(右端は北京五輪マークのネオン)

城門を超えた地点からのライトアップされた長城

早朝の居庸関のホテルの中庭とこれを取巻く居庸関長城

11月5日(日)

今日も快晴であるが、寒い。最低温度は0度とのことである。ホテルは10年程前に造られたとのことで、居庸関の他の建物も皆最近建てられたようである。居庸関は紀元5世紀頃に造られた居庸関長城の関所跡で、長城は周りの急峻な峰々に亘り、関所を取り囲むようにして造られ、難攻不落の九塞の一つである。宋時代末期、明代の初期に建設された大理石の門と過街塔が現存している。朝食後ホテルの周りを皆で散策し、大理石の門を見物し、山の峰々や長城を眺めた。寒いがきりりとしまったすがすがしい気分であった。この後、昨晩ライトアップされていた八達嶺に再び向った。万里の長城は春秋・戦国時代から北の匈奴から守るため造られてきたが、秦の始皇帝が全体を繋げ東は渤海湾を臨む山海関を起点として、甘粛省の嘉峪関に至る6000kmの万里長城として完成させた。このなかで八達嶺の長城は明の時代に土台が花崗岩の堅牢な長城に建造されたものである。駐車場は谷に当たるところに作られており、ここより、ほぼ南北に長城が上っており、北の方を女坂と呼び、南の方を男坂と呼ばれている。女坂の方が登り易いためにほとんどの人が登るようで、我々も女坂を登った。傾斜のゆるい部分は石畳になっており、急な傾斜になると階段になっており歩き易い状態である。ただ今日は昇り始めた時から気温も低く(最高温度10度の予測)風も強くなり、最上部に達する頃には風のため非常に登り辛くなり、寒さと風のため最上部で景色をゆっくりと眺める余裕も無く、すぐに集合場所まで降りてきた。90分の時間が予定されていたが、45分前くらいに集合場所に帰ってきて、みやげ物売り場で時間をつぶすことになった。私一人なら、多分女坂と男坂の両方を登っていたと思う。登りはじめには時間が少し早かったのか人は少なかったが、降りる頃から人が多くなった。最上部からの見晴らしは良く、男坂、女坂をはるかに越えて峰々を連なる長城の規模の大きさに感嘆せざるを得なかった。石畳や階段の摩滅の仕方を見るにつけ歴史の古さに感激した。

居庸関の外観と長城

八達嶺駐車場からの女坂

上右写真の望遠(沢山の人の列)

八達嶺の入り口近くから男坂を望む(ほとんど人はいない)

八達嶺の入り口近くから女坂を望む(右上にオリンピックのマークとOne World One Dreamのネオンサインがある)

女坂の最上部より更に続く長城を望む。最も高い北八楼の標高が1015mである。

女坂の最上部より男坂の方を望む

尾根伝いに続く長城

長城観光後七宝焼きの実演と販売店に立ち寄った。ここでの七宝焼は銅線を非常に短く切ったものを模様の輪郭に沿って接着していき、幾度も釉を重ね塗り、これを焼いて後研磨すると言う方法である。非常に精巧な模様などが美しい額や壷に仕上がっていた。この後、明の十三陵に行った。明の十三陵は明の永楽帝(1360-1424年)が北京に遷都して以来北京市街の北西部にある天寿山を中心に十三人の皇帝の陵が山沿いに築かれた。そして、永楽帝は「長陵」に葬られている。明の初代皇帝は南京にあり、二代目、七代目は陵がない。このうち公開されているのが永楽帝の「長陵」と隆慶帝の「昭陵」と万暦帝の「定陵」の3つだけで、このうち「定陵」が地下数10mに造られた地下墳墓のため多くの人が訪れる。我々もこの「定陵」を訪れた。地下墳墓は階段で上り下りする。そして、地下墳墓は壁面が大理石から成っており、いくつかの部屋から出来ている。中には皇帝と皇后の棺が安置されており(複製)、、それぞれの石製の玉座も収められている。ここから発見された多くの歴史的資料はこの墳墓には展示されておらず、地上の資料展示室にほんの一部が展示されていた。見物する前はさぞかし多くの歴史的資料が現場に陳列され、壁画などもあるのではとの期待を持っていたが、期待とは裏腹に本当にだだぴろく無味乾燥な状態であったのでがっかりした。この後、茶芸店で中国茶の4つほどの典型的なお茶についての実演、試飲を行った。その時点では感心もし、お茶の良さも少しは分かったが、少し堪能してしまった。夕食後、ホテルに行った。ホテルは西北京駅の近くにあった。

七宝焼の見学1

七宝焼の見学2

七宝焼

明の十三陵

明の十三陵分布図

定陵図

陵埋蔵品

定陵の地下墓内のお棺(複製品)

地下墓内の考瑞宝座

定陵

木俑

鼓楼

ホテルなどの夜景

早朝のホテルからの眺望

11月6日(月)

今日も快晴だが、寒く風も強い。今日の最初の訪問地の天安門に向った。この4日間ほど中国、アフリカ諸国サミットが北京で開かれていたため、北京市街全体に多くの警官や軍関係者が出動して警備が厳しく、場所によっては交通規制も行われていた。ちょうど天安門への途中交通規制に遭って、3車線道路が1車線に減らされ急に渋滞した。渋滞している車線の横を数十分間に亘りパトカーに先導された黒塗りの車が何回となく通り過ぎて行った。しばらくして渋滞が無くなり、天安門広場に到着した。天安門広場の東西は西(人民大会堂)から東(歴史博物館)までが500mあり、南北は北(天安門)から南(正陽門)までが880mある。この広場には人民英雄記念碑と毛沢東記念堂が立っている。時々テレビで見ているが実際に広場に立って見ると確かに広々としているが、毛沢東記念堂により視界は分断されるため、思ったほど広大には感じられなかった。しかし、月曜日の平日なのに多くの人が来ていた。早速、広場から横断歩道はなく地下道を利用して天安門に行った。天安門はパレードが行われる時のVIPが閲兵するところとしてテレビ見ていた。この天安門は高さ33.7mのニ重の城門楼で、明、清代皇城の正門で、1420年に「承天門」として創建されたが、戦火で焼失し、1651年に「天安門」として再建された。この堂々とした建物の門をくぐると左手は中山公園、右手は労働人民文化宮で更に進むと瑞門に来る。そして、次いで午門に来る。この門からが明・清時代の紫禁城で、1933年以来故(もと)の宮城すなわち故宮が博物館となった。すなわち、故宮博物院である。すべての瓦が黄金色の瑠璃瓦である。柱や壁は朱色で、軒下、欄間などには青、緑、朱、金色の色があでやかに使用されいる。いずれの色も高貴な身分を示すものである。残念なことに、今年はメインの太和殿が修復中であった。しかし、他の建物、中和殿、保和殿、乾清門、乾清宮なども同じように豪華さを競っていた。この故宮博物院の建物は確かに見事なものであったが、物足りなさが残った。これは、たとえば、ヨーロッパの宮殿なら外観も面白いが、宮殿内部も多くの調度品や絵画などがあり、更に豪華さを引き立てたが、この故宮博物院は単に建物だけで、内部の調度品や絵画などが見られなかった。話によると、90%の内部の品物を蒋介石が戦時中台湾に持ち去ったとのことである。それを見たければ台湾の故宮博物館に行く必要があるとのことである。最後に故宮博物院内のみやげ物店へ行った。この店では有名な芸術家の作品を陳列しており、売り上げは故宮博物院の修復のため寄付されると言うことであった。今日は有名な書道家が実際にその場で書いていた。そこで、書自身も気に入ったが、どうしてもほしいとまでは思わなかった、寄付の気持ちもありその書道家の作品を購入した。

正陽門

天安門広場(人民大会堂、人民英雄記念碑)

天安門広場から天安門への地下道

天安門

瑞門

午門

太和殿(修復中)

中和殿と保和殿

保和殿への階段に彫られた龍(雲龍大石彫)

故宮博物院の出口から景山公園を望む

市内を走るトロリーバス

胡同(路地)の三輪車による散策

昼食後、2人乗りの人力三輪車に乗り数十人もの列をなして恭王府を中心として保存されている故同を観光した。「故同」は北京特有の路地でフートンと呼ばれる。この故同の中にある家のほとんどは「四合院」で、ぎっしりと並んだ四合院の間に出来た大小さまざまな通路が故同である。寒い風の強い中を人力三輪車で故同を回り、一軒の四合院を見物した。この四合院は小さい戸を入ると小さな中庭を中心にして四方に部屋がある。静かな家族の温かい生活が感じられた。途中に郭沫若故居があり、静かなたたずまいであった。故同の散策は殺風景な路地を寒い中回ったと言う程度で、特に印象に残るものではなかった。この後、天壇公園に向った。天壇は皇帝が天を祀り、五穀豊穣を祈願する場所で、15世紀明の永楽帝によって建てられ、清の乾隆帝により改築された。この中心は祈念殿で形は円形をしており、外観は傘形三層屋根から出来ているが内部は吹き抜けている。瓦は青色瑠璃瓦、高さ38mあり直径32mある。東西南北が日壇、月壇、天壇、地壇に位置している。天壇公園は周囲6kmにおよぶ広大な公園であるが我々はメインの場所だけを観光した。公園には長廊があり、そこでは多くの人々がトランプや胡弓などの楽器を奏でて遊んでいた。ここでは建物の珍しさと長廊で遊んでいる多くの人々が印象に残った。この後、中国の人間国宝にあたる人の作品を見た。非常に精巧な技を見ることが出来た。

一般人の四合院の内部

一般人の四合院の内部

一般人の四合院の内部

一般人の四合院の内部

一般人の四合院の内部

柿の実をついばむ鳥

天壇公園

長廊で遊ぶ民衆(トランプ、胡弓など)

祈年殿

祈年殿への階段

祈年殿内部

祈年殿内部

祈年殿構造模型

百工博物館(人間国宝百人の作品展示)

作品展示

テレビ塔

11月7日(火)

今日は北京最後の日で午後日本に帰国する。天気は快晴で風も治まり寒さも少しゆるいだ。朝食後雍和宮に向った。雍和宮は清の康煕33年(1694年)に建てられ雍親王府と呼ばれたが、雍正3年(1744年)に雍和宮に改められ、乾隆9年(1744年)にラマ廟として建立された。ラマ教はチベット仏教である。雍和宮は三つの碑坊と五棟の大殿からなっている。ここではいろいろな仏像が安置されているが、なかでも万福閣にある白檀で作った弥勒仏像は高さが18mあり、世界最大の木造仏像である。安置してあるお堂が狭いため、近くから見上げるため、偏った見え方になってしまった。この観光は今までの他の建物だけの観光より、私にとっては興味深く、真剣に祈っている礼拝者、いろいろな仏像を見ることが出来た。仏像に関して考えると韓国やここを含めた中国での仏像は金色と原色で満ち満ちているが、これに対して日本の仏像は素材を活かした仏像が多く、我々にとっては中国の仏像も興味をそそるが、日本の仏像のほうが長く見慣れたからかしっくり合うように思う。とはいえ、仏像は常に民衆の願い、求めをしっかりと暖かく受け止めてくれるような様相をしていて、仏像に対して本当に失礼かもしれないがついシャッターを押したくなる。

この後、昼食は取らずに12時過ぎに北京空港に着き、14時30分発の飛行機を待っていたが、中国・アフリカサミットのVIPの帰国の影響で、1時間くらい出発が遅れた。そして、関西空港に19時過ぎに到着し無事帰宅した。

北京駅

箭楼

雍和宮の昭泰門

雍和門

 

雍和宮

過去、現在、未来の三仏像

永佑殿

法輪殿

ゲルク派の開祖ツォンカパの銅像

萬福閣

弥勒菩薩(白檀で造った弥勒菩薩、高さ18m)

雌獅子(前足で子供をあやす)

雄獅子(前足でまりを持つ)

 

                                                     上記へ

HOME 趣味1(旅行) 趣味2(絵画他) 趣味3(陶芸) 徒然(電気雑記)

 

inserted by FC2 system