シルクロード9日間の旅

 

今回は昨年の西安・大連の旅と同じ仲間で、西安の西の都市の観光に出かけることにした。すなわち、シルクロードの入り口に過ぎないが、平成18年9月16日から24にかけての9日間で、西安、蘭州、敦煌、トルファン、ウルムチの観光に出かけた。グループの人数は19人であった。

9月16日(土)

関空に8時に集合し、所定の手続きを終え、10時に出発し、時差1時間の北京に12時過ぎに到着し、北京で乗り継ぎ、更に西安(Xi’an)に向け14時20分に出発し、16時過ぎに到着し、ホテルに向った。途中、昨年の時と同じように派手な看板、三輪オートバイ、自転車が活発に行きかい、信号無視の人々の往来が頻繁に行われていた。夜の街も明るくにぎやかであった。古い住宅を壊し、高層住宅を建設することが今もなを盛んである。

ホテルに向う途中の街

ホテルから見た夜の明徳門(南門)城壁のライトアップ

ホテルから見た朝の明徳門 

明徳門 

9月17日(日)

朝食前にホテルから明徳門まで散策した。昨年と同様、まだ、この時期はそれほど涼しさが感じられないが、朝の広場では多くの人がグループごとに思い思いの体操を行っていた。朝食後ホテルを出発し、西安の西30kmほどのところにある昨年も訪れた兵馬俑博物館に向った。途中、とうもろこし畑やざくろ畑が一面に広がっていた。博物館ではまず4頭立ての銅車馬を見物し、1号坑、2号坑、3号坑と見物した。やはり、1号坑の広大さには圧倒された。2号坑の特別展示では中級軍人、高級軍人、弓射隊、騎兵隊像の展示があり、昨年には写真をホームページに出していなっかったので、今回、写真を出している。ここで、昨年と異なっていたことはバスの駐車場が昨年より入場口から遠ざかっており、遠くでバスをおり、10人乗り程度の電気自動車で入場口に行くようになっていた。これらは、北京オリンピックの時の観光客対策のように思えた。ついで、すぐ近くにある楊貴妃と玄宗皇帝に関係の深い華清池に再び訪れた。華清池においては昨年と非常に変わっている点がひとつあった。それは白い楊貴妃像で、昨年は門を入ってすぐの華清池の正面に楊貴妃像が建てられていたが、今回の場合はそこには無く、中庭の方に移設されており、池の中には大きなプラスチックの造花の蓮がいくつも設置されていた。他の施設、楊貴妃の湯船、玄宗皇帝の湯船、西安事変旧址(荷花閣)の蒋介石関連の施設には変化が無かった。ついで、西安市街に帰り、陝西歴史博物館に行った。市街への帰り途中で昨年に観光した慈恩寺大雁塔(玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰った教典を保存した場所)を眺めることができた。陝西歴史博物館のここも、昨年に行ったところであるが、非常に大きな見ごたえのある博物館である。昨年には掲載しなかった写真を掲載する。

以上の観光後、再び西安空港に向い、飛行機18時30分に出発し、蘭州に19時40分に到着した。そして、夕食後ホテルに到着した。蘭州の空港と市街とは80kmほど離れており1時間以上かかった。

銅車馬 

御者と客車 

1号坑の中央から右側 

左の写真の左端の拡大写真 

中級軍人像

高級軍人像

弓射隊

騎兵隊

3号坑 

秦始皇帝像

華清池

華清池の中庭に楊貴妃像が移設 

華清池 

慈恩寺大雁塔

陝西歴史博物館内の展示、その1 

その2 

その3(打楽器)

その4 

その5

その6 

その7(唐三彩)

その8 

蘭州の朝の広場

蘭州市街も高層建築ラッシュ

9月18日(月)

蘭州市(Lanzhou)は黄河沿い20kmにわたっており、海抜が1510mの所に位置し、甘粛省の省都であり、人口が320万人の大都会である。ここもやはり高層住宅建築ラッシュである。海抜が高いので、寒いくらいではと思っていたが、西安より少しは涼しいかなと感じるくらいであった。ここでも朝の広場は多くの人が出て、いろいろな健康体操を行っていた。まず、白塔山公園に出かけた。白塔山は黄河の北に位置し、海抜1720mあり、頂上には白塔が建っている。これは7層8面の塔で、蘭州で病没したラマ僧の霊を弔うために建立された。この山麓周辺には回族の居住地があり、イスラム教の寺院が点在しているとのことである。白塔山公園に行くには中山橋を渡る必要があるが、この中山橋は黄河に架けられた最初の鉄橋である。橋を渡りながら、黄河を眺めたが、ここらあたりの水の流れは大河がゆったり流れると言うのではなく、滔滔(とうとう)と流れていた。そして、水の色は黄河らしい黄土色で、透明度はほぼゼロのようであった。景色は西安と同じく、常にもやがかかっているようである。山上まではロープウエーもあるが、我々は約200mの高低差の山を登った。山の上からの見晴らしは良かったが、残念なことにスモッグのため遠くは見晴らせなかった。

黄河の彼方に見える白塔山公園(頂上にかすかに白塔が見える)と中山橋 

白塔山公園入り口 

白塔山公園から蘭州市街

白塔山白塔

炳霊寺石窟への途中

炳霊寺石窟への途中

この後、炳霊寺に向った。途中、植物の気配すら感じられない赤茶けた山々、草木があり、段々畑があり、ヤギ、牛などの放牧がある山々を2時間ほどかけ蘭州から約100km西南の中国最大の発電所がある劉家峡ダムに到着した。ダム近くの町で昼食を取り、その後、炳霊寺へはダム上を35kmほど船で遡る必要がある。数百人乗りの船と10人乗りのモーターボートなどが就航しているが、短時間で行くために我々はモーターボート2台に分乗した。所要時間は1時間弱であった。私はこれほど長い時間モーターボートに乗った経験は今まで無かった。ダムは風も無く凪いでいた。このなかモーターボートは高速で突っ走った。水の色はいわゆる黄河の水の色とは異なり、緑色に変わった。これは、赤茶けた色の土が沈殿して、水本来の色に近づいたためであろう。モーターボートは乗り心地が悪く、水面を滑るようにはいかず、水にお尻を叩かれながら突っ走った。そして、炳霊寺に近づくに従って、幅は狭まり、両岸には凸凹した山が多くなり、小桂林と呼ばれる様相を呈してきた。また、上流になるほど水の色も緑から黄河本来の色に変わってきた。炳霊寺石窟は黄河の北岸2kmにわたって支流沿いにあり、十六国時代の西秦から隋、唐、明、清に至る時代に造られ、190余の石窟と大小700体近くの仏像がある。この中心が唐代に造られた169窟の高さ27mの大仏である。ほとんどの窟は小さい。炳霊とはチベット語で「千仏」や「十万仏」を意味する。また、支流の対岸には炳霊寺の臥仏殿には十数mほどの涅槃像がある。この涅槃像も大仏に近い岩から剥いで安置されているとのことである。滞在時間は1時間程度であるため、詳細には見て回ることができなかったが、大仏の椅子座り姿で、何事にも動じず、鎮座ます姿に感動した。また、小さな祠ではあるがそれぞれが非常に興味尽きないものであった。幸運にも外国人の剥ぎ取りや他教徒の破壊から免れたものである。また、これ等を囲む景色もこれらの石窟を引き立てているように思われた。炳霊寺を去る直前から小雨が降り始め、風も少し出てきて水面に波が少し立ち始めた。このため、帰りのモーターボートは小刻みに波に叩かれバスががたがた道を走るような状態が続き非常に乗り心地が悪かった。モーターボートが元に戻った時には雨が上がっていた。この後、ホテルに戻った。

劉家峡ダム

ダムの上流に向う

帰りを急ぐモーターボート(我々のものと同じタイプ)

途中の景色

船着場の近くからの下流の風景

モーターボートからの炳霊寺 

モーターボートから石窟のある支流の方の眺め

炳霊寺石窟入り口

参道からの大石仏(このような崖にもヤギがへばりついて草を食んでいる)

石窟その1

石窟その2 

石窟その3

石窟その4 

ダムに注ぐ支流の上流風景

大石仏(27m)

涅槃仏

正面の岩の窪みから涅槃仏を取り出したと言われている

船着場近くの参道からの下流風景(小桂林と言われる)

帰り途中の民家

五泉山公園入り口

9月19日(火)

蘭州の五泉山公園にまず向かった。五泉山公園は海抜1600mの山腹に5つの泉があることから付けられた名前である。この5つの泉は漢の武帝の時代の将軍霍去病が匈奴征伐の途中に水に苦しむ人馬のために地面に剣を突き刺したところ5つの泉が湧き出たと言われ、恵泉、甘露泉、掬月泉、摸子泉、朦泉の5つの泉である。また、園ないには道教、仏教、ラマ教の寺院が混在する。ついで、黄河水車園に行った。ここには黄河に沿って数m程度の水路があり、そこに水車があり、これにより水を汲み上げ、大きな石臼のある小屋まで水を導き、この水力により、石臼を回して穀物すりつぶす。この後、昼食後空港に向った。

公園内の霍去病像

公園内の孔子行教像 

五泉の一つ恵泉

五泉の一つ甘露泉

五泉山公園からの市街の眺め

黄河水車小屋

水車

水車を回す水路

蘭州飛行場への途中 

蘭州から敦煌への飛行機からの阿尓金(アルティン)山脈

蘭州空港発16時20分の飛行機で敦煌(Dunhuang)に17時50分に到着した。蘭州を出発するとまもなく下界は砂漠か禿山が続き、たまにオアシスを中心とした街が見下ろせるが、飛行機からは乾ききったような街にしか見えなかった。しかし、敦煌に近づくと遠くには阿尓金(アルティン)山脈をはじめとした4〜5000m級の冠雪の山々が大量の水を貯えているのが眺められた。到着後、直接鳴砂山に向った。午後6時ごろであるが、まだ、陽が高いのに驚いた。敦煌が特に緯度が高い訳でもないのにと思った。この原因は緯度ではなく、北京から西に遠く離れているにもかかわらず、北京の標準時間を使っているためであることが分かった。実際の時間感覚は2時間程度の時差を考慮する必要があった。飛行場から鳴砂山に向う途中も礫砂漠(礫平原)や砂山砂漠が続いていた。鳴砂山に到着すると砂山が連なっていた。砂漠には岩石の山か出来ている岩石砂漠、礫の平原から出来ている礫砂漠、砂山から出来ている砂砂漠がある。鳴砂山は砂山砂漠で、市街から西南5kmのところにあり、東西40km南北20kmあり、最高峰は1716mある。しかし、敦煌の海抜が1183mある。入り口から砂山までは10分程度駱駝に乗って行った。駱駝を降り、少し行くと月牙泉が見えるところに出た。月牙泉は砂丘に囲まれた湖で三日月に形が似ていることから呼ばれている。この湖のお陰で一部に緑が保たれている。陽が大きく傾いており、全体が日陰になっていた。砂丘に囲まれたこの風景はなんとなく不思議な光景を呈していた。惜しむらくは自分を含めて人が多いことである。50m以上はあると思う砂丘には、木のはしごが設置されていて中腹には一人乗りの木ぞりが置いてあり、下りは中腹からこの木ぞりを使って滑り降りれるようになっていた。確かすべてで40元であったと思うが、砂丘の山頂に登ってみたかったので登った。砂丘は踏みしめるとすぐくずれてしまうので、はしごは非常に役にたった。山中からの眺めは良く、山々の連なりを面白く眺めることが出来た。下りの中腹からの木ぞりも距離が適当に長かったので初めての経験で面白かった。木ぞりに仰向けになり、両肘でバランスを取り、スピードもコントロールする方法である。鳴砂山の由来は高所から滑り降りると、ゴーゴーと雷のような音がするところからとのことであるが、木ぞりでの経験ではこのような由来とは程遠く静かなすべりであった。この後、ホテルに行った。

鳴砂山

客待ちの駱駝

月牙泉

鳴砂山の砂丘山頂からの月牙泉の眺め 

鳴砂山の山並み

敦煌市街

9月20日(水)

敦煌市街から20km程度離れた莫高窟に行った。午前中は一般に公開している窟観光で、午後は特別公開の窟観光である。窟内は撮影は禁止で、全体の入り口でカメラを預けて入った。特別公開窟は3窟だけ観光するのに500元(日本円で8000円弱)が必要であった。こんなに高い入場料は少し不合理に思われたが多分2度と来れないと思い入った。また、カメラ禁止もフラッシュは良くないかもしれないが、フラッシュなしであれば認めてくれればと勝手な考えだが思った。カメラ禁止であったので日本円で4000円で窟内の写真印刷本を購入した。莫高窟は千仏洞とも呼ばれ、鳴砂山の南北1.6kmにわたる断崖に4層にも亘って492の洞窟がある。時代としては西暦421年(北凉)から1368年(元代)にまで及んでいる。一般窟は96窟→130窟→148窟→231窟→251窟→259窟→249窟→16・17窟→ 328窟と回り、特別窟は45窟→57窟→158窟と回った。特別窟は担当者がカギをいちいち閉めたり、開けたりしていて、警戒が厳重であった。特別窟は3か所しか回っていないが、特別窟の方が保存状態が良いように感じた。

96窟:高さ33mの弥勒大仏坐像があり、左手は膝の上に下向きに開いて置き、右手は曲げて前に開いて突き出したような形で、顔は9層楼の窓からの光で白く浮き出ていた。大仏から引いて見ることは出来ず、あまりにも至近距離で、真下から見上げるため、大仏の顔或いは全体像の良さがあまり捉えることが出来なかった。

130窟:盛唐に造られたもので、高さ26mの弥勒大仏坐像で第二番目に大きいもので南大仏とも呼ばれている。また、南壁には都督夫人太原王氏供養像が描かれている。96窟よりは少し全体像を見やすかったとはいえ、やはり、見づらかった。

148窟:盛唐に造られたもので、十数mの釈迦涅槃像があり、東壁南側には観無量寿経変が描かれており、これは一番大きい経変絵であり、西方浄土世界を中心にその両側にそれぞれ未生怨と十六観が描かれている。

231窟:中唐に造られたもので、蓮の上に如来趺坐像があり、傍には観音像があった。また、千手観音像の壁画がある。

251窟:北魏に造られたもので、北壁には「説法図」があり、二飛天が描かれている。さらに、弥勒坐像もあった。

259窟:北魏に造られたもので、北壁に高さ0.92mの趺座の禅定仏像が両手を重ねて、穏やかな姿である。敦煌のモナリザと呼ばれている。

249窟:西魏に造られたもので、窟天には帝釈天妃図。また、下記の写真にも示されているように弥勒坐像がある。

16・17窟:16窟と17窟の入り口は同じで、以下に示している写真から分かるように17窟の入り口は16窟の東壁にある。そして、16窟の北壁には釈迦像胡坐坐像とそばにいくつかの観音像がある。そして、17窟の北壁に高さ0.94mの高僧があり、この窟は数万件の経巻、文書、絹絵などが保存されていた。これを荒れ果てた莫高窟を守っていた道士・王圓籙が1900年に発見し、後にイギリス隊のスタインをはじめ、フランス隊のぺリオ、日本の大谷隊、ロシアのオルデンブルグ、アメリカのウオーナーらにより多くの資料が持ち出されたのである。

328窟:盛唐に造られたもので、中心には高さ2.19mの坐仏をはじめ彩色塑像8体がある。奥の南側は弟子の阿難、北側は弟子の迦葉、手前の南北に半跏(かけ)菩薩像、更に手前の北側の供養菩薩1体、南側はアメリカのファルナーが持ち出し、かけている。一番手前に南北にひざまづいた供養菩薩、北側は1体が写真に写っていない。

特45窟:釈迦と阿難、迦葉、2菩薩像、2天王からなっており、写真は北側のものである。菩薩の高さは1.85mである。これ等の塑像は敦煌での代表作である。

特57窟:初唐に造られたもので、釈迦像と釈迦説法図がある。

特158:身長15.8mの涅槃像で「寂滅を楽とする」という涅槃的境地を表している。北壁面には釈迦立像、南壁面には釈迦坐像がある。

ちょうど、我々が見学した第249窟、第251窟がスタインが訪れた時の窟の様子が写真で撮られている。この写真では中に鎮座している仏たちの姿が丸見えになるほど窟の状態が荒れていたのが、今回我々が見学した状態までに修復された努力に敬意を表したい。

莫高窟観光後、夕食を取り、トルファンに向う。トルファンへは夜行寝台列車で向うが、現在は敦煌には列車の停車駅が近くになく(現在建設中である)、120km離れた柳園駅まで行く必要がある。約2時間かけて行った。そして、柳園駅21時40分発、トルファン6時41分着の列車に乗った。柳園駅では非常に多くの人でごった返しており、大変な混雑で、戦後の国鉄を思い起こさせた。寝台車は2段ベットで4人一部屋になっており、鍵もかかるようになっていた。トイレや洗面所は特に問題は無く小奇麗であった。寝台車は会社勤めの時に富山や新潟に行くのに利用したことがあるが、線路のつなぎによりゴトゴトと音と振動がすることや駅に停車する時の振動のため熟睡は出来なかったことを思い出し、少し睡眠剤を飲んで寝たが、飲み方が少なかったためかやはり熟睡できなかった。

莫高窟の北側入り口近くから南方向

莫高窟の北側入り口近くから北方向

莫高窟の中央入り口近くからの第96窟(9層楼)

莫高窟の北側の外れにはこれに関わった人の洞穴

第96窟(参考資料より)33mの大仏

第130窟(参考資料より)盛唐、26mの南大仏

148窟(参考資料より)盛唐、涅槃像(塑像)左図:頭部、右図:足部、大谷探検隊による

第148窟(参考資料より)盛唐

第251窟(参考資料より)北魏

第259窟(参考資料より)北魏

第249窟(参考資料より)西魏

第16窟(参考資料より)左図、右図の入り口はどちらも第17窟経蔵堂入り口、右図はスタインが撮影したもの

第17窟(参考資料より)晩唐

 

 

第328窟(参考資料より)盛唐 

特別第45窟(参考資料より)盛唐

特別第57窟(参考資料より)初唐

特別第158窟(参考資料より)中唐

二階の左から249窟、250窟、251窟(1907年スタイン探検隊が訪れた時の状態) (拡大)

収穫期の綿畑

ブドウ畑

9月21日(木)

朝6時半頃トルファン(Turpan、吐魯番)に到着したがまだまだ夜が明ける状態ではなかった。と言うのは6時半は北京時間であり、実質の時差は2時間あるためである。迎えに来たバスの時計を見ると4時半になっていたが、運転手が我々と同じ時間に合わせた。到着後まずホテルに向かい、シャワーを浴び朝食を取った後11時頃、観光に出かけた。トルファンは人口が23万人で、海抜が約100mで中でもアイデン湖はー154mで、死海に次いで世界で2番目に低いところである。トルファンとはウイグル語で「低地」と言う意味であることからも分かる。また、トルファンは古くは「火州」とも呼ばれたように、夏には非常に温度が高く、乾燥はしているが、35度を超える日が続き40度前後もしばしばであるということである。実際、9月下旬にかかろうとしているが観光中は熱く感じた。私だけかもしれないが、乾燥している実感は特に感じられなかった。まず、高昌古城に行った。高昌古城かつてのシルクロードの要衝で、トルファンの南東46キロの所にあり、1辺約1.5キロのほぼ正方形に近い城壁に囲まれ、外城、内城、宮城の3層構造になっている。 後漢王朝のとき屯田部隊が配置され、327年に前涼国が高昌郡を置いた。唐代には三蔵法師が行き帰りに立ち寄ったとのことである。しかし、高昌国は14世紀、唐によって滅ぼされ、今はその面影をとどめるだけの廃墟となっている。現在、すこしづつ修復を進めているようであった。メインストリートにはロバ車が往来していて観光客を運んでいる。次いで、アスターナ古墳群に行った。ここは3〜5世紀の漢族の墓があり、公開されているのは3つほどである。内部には壁画があり、副葬品も展示されていた。

高昌古城

高昌古城講堂

高昌古城

高昌古城

葡萄農家

アスタナ古墳群

古墳群

古墳の一つ 

次いで、ベゼクリク千仏洞に向った。ベゼクリク千仏洞に向う途中は赤茶けた山々の中を行き、また火焔山を左に眺めながら進んだ。ベゼクリク千仏洞はウイグル語で「絵のあるところ」「美しく飾られたところ」を意味する。そして、これは4世紀から14世紀にかけて造られた。いくつかの窟を見学したが、名前とは似ても似つかぬ荒廃状態になっており、がっかりした。この原因はイスラム教徒に破壊されたり(荒っぽく削ったり、壁画の上から泥を塗るという荒っぽいやり方)、ここを発見したドイツ隊をはじめとして各国の探検隊が貴重な壁画・仏像などを剥ぎ取り持ち帰ったためである。ベゼクリク千仏洞は渓谷の崖の所にあり、周りは厳しい禿山に囲まれているが、川は渓谷に沿って細長く木々の生えている緑の帯を生んでいる。修道僧達もこの渓谷から水を得たのではないかと思う。次いで、西遊記にも関係のある火焔山に行った。といっても帰りに立ち寄ると言うようなものであった。これが、火焔山だと言われても、他の山並みも良く似ており、しいて言えば少し、赤さが強いかなと言う程度である。ここらもスモッグで見通しが悪く火焔山が傍にあるにもかかわらず非常にコントラストの悪い写真しかとれていない。トルファンは葡萄の産地で有名で、ワインが有名である。そこで、葡萄溝に向った。ここではいろいろな葡萄が栽培されていた。また、いろいろな干し葡萄も多く販売されていた。トルファンの農家の家の上には必ずレンガを組み合わせた格子状に穴が開いた建物が乗っている。これは葡萄を乾燥する小屋である。湿度が低いため乾燥するには最適な場所である。ここで、ワインを2本購入した。次いで、蘇公塔に向った。蘇公塔は市街から4km離れた所にあり、清王朝のときに群王であった蘇来曼が父を偲ぶために1778年に建てたもので、蘇公塔と1000人収容可能なモスクからなる。この建物に使われている図柄が独特で、その建築芸術と風格は中国のイスラム風建築物の中でユニークな道を切り開いたものであると言われている。この地区の礫砂漠の地下には天山山脈の雪解け水を人造の地下水路(カレーズ)を通して、水を有効に利用している。観光用に見易く整備されたカレーズを見物した。この後、ホテルに帰った。夕食後、ウイグル族の民族ショーの軽快な踊りを楽しんだ。

ベゼクリク千仏洞への途中

ベゼクリク千仏洞の対岸の山

ベゼクリク千仏洞

ベゼクリク千仏洞のある渓谷

ベゼクリク千仏洞

ベゼクリク千仏洞

火焔山

葡萄溝

開口されたカレーズ

葡萄畑

葡萄畑

葡萄溝民俗村

蘇公塔(モスク)

地下のカレーズ(観光用)

トルファンの民族ショーその1 

トルファンの民族ショーその2 

トルファンの民族ショーその3 

トルファンの民族ショーその4 

ウルムチへ向う途中の殺伐とした風景

トルファンからウルムチに向う峠近辺

9月22日(金)

朝食後ウルムチ(Urumqi、烏魯木斉)に向けて出発した。トルファンからウルムチまでは約200km離れている。高速道路を走ること3時間余である。この間は川に沿って走り、これに平行して鉄道も走っている。この間、いろいろな景色を見ることが出来、飽きることが無かった。ほとんどが川沿いのためあまり豊かではないものの一応牧草地帯を走るためヤギや牛、馬などの放牧がなされており、野生の駱駝も見ることが出来た。また、季節外れであるが白く水面が凍っているように見える湖が現れた。これが塩湖である。近くには塩の工場も見ることが出来た。また、風力発電群も見ることが出来た。この風力発電所の近くのトイレに立ち寄った。高速道路のトイレにもかかわらず、男女の囲いはあるが、その中にただ矩形の切り込みだけが4つほど囲いなしに並べていて、下の汚物が丸見えというものであった。風も強い礫平原であったので、風力発電に最適に思えた。ウルムチに着くと昼食後、120km離れた天池に向った。ウルムチはモンゴル語で「美しい牧場」と言う意味である。ここは新疆ウイグル自治区の区都で160万人も住んでいる大きな都市で、天山山脈の北麓でジュガル盆地の東南の端で、海抜約900mである。市街はやはり高層ビルがひしめいている。

灌漑に使われている水車

ヤギなどの家畜の放牧

現在のお墓群 

塩湖 

ウルムチからトルファンに向う列車

野生の駱駝

ウルムチへの途中にある風力発電群 

ウルムチ市街 

この建物近くからマイクロバスに乗り換え

マイクロバス駐車場から下の方の景色

天池へ渓谷に沿うてバスが登っていくのであるが、川沿いに多くのパオを見かけた。天池へは観光バスで湖畔までは行けず、まず上図の建物近くで20人乗りのマイクロバスに乗り換え、河畔に近づくとさらに今度は10人乗りの電気自動車に乗り換えて湖畔まで行った。まず、天池の湖畔に立ってがっかりしたのは少し霧がかかているのと中心に聳えるボゴダ峰が雲にかかりはっきりと見えないことである。この程度の景色ならここまで来るほどでもと思うほどであった。それも、5月末にすばらしいカナディアンローキーの氷河の山々と湖を見てきているためかもしれない。帰りになると少し、申し訳程度にボゴダ峰がほんのり見えた。天池は海抜1980mであるので、寒いのかと思っていたが、少し肌寒い程度であった。この後、ホテルに行った。

天池 

天池の正面左の望遠

天池の正面の望遠(正面の山、ボゴダ峰の冠雪がかすかにうかがえる) 

マイクロバス駐車場近くの水車

紅山公園 

ウルムチの市街

ウルムチ市街

ホテルからの日の出前の景色

ホテルからの朝の冠雪の天山山脈(ボゴダ峰?5445m)

新疆ウイグル族自治区博物館入り口

9月23日(土)

朝からまず新疆ウイグル族自治区博物館に行った。民族別にブースを分けそれぞれの昔の民族衣装をはじめ生活用品などが陳列されていた。本来は撮影禁止であったので私も撮影をしないつもりで入場したのであるが、西洋人らしき団体が係員の前でフラッシュをたいて写真を撮っていたが、何も注意することなく見過ごしているのを見て、少し、対抗心が沸き、フラッシュなしの写真を少し撮らせてもらった。ここは、楼蘭のミイラが有名であるが、ガラスのケースに入れてあるが、特に密封することなく陳列していたので、これで、問題はないのかと説明員に聞いてみたら、ウルムチは乾燥しているので、特別な処理をしなくても良いとのことであった。エジプトのミイラの場合は内臓などを処理した上でミイラを作っているが、ウルムチの場合は死体全体を何の処理もせずに自然と土の中でミイラ化しているとのことである。次いで、ウイグル族の国際大バザール見物に出かけた。バザールは沢山の人出で、店も非常に沢山出されていた。また、一方のビルの屋上からは民俗音楽というかイスラムの祈りのような音楽と言うのか分からないが、非常に何かを掻き立てるようなにぎやかな音楽が奏でられていた。私は特にバザールでの買い物には興味はないので、ぶらぶらと眺めて歩いた。

この後、ウルムチの空港に向かい16時5分発の飛行機で19時に西安に着き、再び初日と同じホテルに着いた。

新疆ウイグル族自治区博物館内 

新疆ウイグル族自治区博物館内

新疆ウイグル族自治区博物館内のミイラ 

ウイグル族バザール

バザール

バザール

バザール横のモスク

夜の西安空港

明徳門近くの古文化街入り口

古文化街(西安碑林博物館への道)

9月24日(日)

朝食事前に明徳門の近くを散歩した。古文化街入り口近くで、昨年に見学した碑林博物館の標識が出ていたので、古文化街を歩いてみた。この通りは看板から推し測ると書に関係のある文具などが売られている店が多い。碑林まで行く時間もなかったので途中で戻った。いよいよ、帰国の日である。西安の空港から10時10分出発し、北京に11時50分に到着した。北京からは予定では16時20分発であったが、出発が遅れて、18時50分になり、関西空港に着いたのが22時30分で、2時間30分の遅延となった。それに加えて、私の荷物だけが出てこず、手続きをして、航空会社から出されたリムジンバスで、大阪駅に行き。自宅には午前1時頃着いた。

西安上空

北京着陸

今回の旅行はシルクロードの一部分を体験したのに過ぎず、それも、飛行機、列車、バスという近代手段での体験のため、本来は苦しみの場所が、ある意味楽しみの場所に変えてしまって、体験したと思い込んだ旅行である。しかし、この場所は駱駝の隊列を組んで旅した人たち、天竺へ教典を求めた玄奨(三蔵法師)らにとっては死と隣り合わせで臨んだ場所である。体験とはおこがましいものであったが、兎にも角にも、鳴砂山といい、火焔山といい、礫砂漠といい乾ききった大地に触れることが出来た。また、今回飛行機での移動が多かったので、印象が強かったことだが、空港での大きな荷物の荷物検査の検査体制が迅速さに欠けていた。係員の取り扱いの対応の悪さが目に付いた。一度はコンベアが途中で完全に止まった時も少し離れて動いているコンベアへの切り替えや連絡や対応が悪いため、非常に長く待たされてしまった。2年後にオリンピックを開催する時にはさらに多くの外国の人が訪れると思うが、思いやられる。

 

                                                                

                                                                                                                                 上部へ      

HOME 趣味1(旅行) 趣味2(絵画他) 趣味3(陶芸) 徒然(電気雑記)

 

 

 

 

inserted by FC2 system