スペイン・ポルトガル紀行    

平成18年1月29日(日)〜2月7日(火)にかけてスペイン・ポルトガルを旅行した。スペインの首都マドリッドは緯度としては日本の青森県くらいに位置しており、今回、訪れる地はこれより南でもあり、南の海岸は地中海で、地中海気候で温暖であることもあり、寒くても私の住んでいる大阪より少しは暖かで、旅行するのに支障にはならないと考え旅行するに至った。

1月29日(日)関西空港からオランダ航空で午前10時50分に出発し、オランダのアムステルダムに向け出発し、アムステルダム(日本との時差7時間)に午後3時10分に到着した。アムステルダムで乗り継ぎ午後4時30分に出発し、スペインのバルセロナ(日本との時差8時間)に午後6時40分に到着し、今回の旅のすべての行程を受け持ってくれる運転手のバスに乗りホテルに着いた。結局、飛行機に11時間20分と3時間10分の計14時間30分に乗っていたことになり、自宅出発6時15分で、ホテル到着午後7時30分頃なので、約21時間余かかったことになる。やっと着いたというのが率直な感想で、たしかに疲れた。しかし、明日からの旅には期待が膨らむ。

1月30日(月)朝9時頃ホテルを出発し、午前中はバルセロナ市内観光を行った。バルセロナは地中海に面しており、降水量も比較的少ないので、晴天を期待していたが、生憎雨模様であった。激しい雨ではなかったがやはり傘をさすことだけでもうっとおしいものである。バルセロナは人口170万人でスペイン第2の都市であり、地中海に面しており、フランス国境からは100kmしか離れていない。ピカソ、ミロ、ガウディといった画家や建築家を輩出している。最初の訪問地はガウディの名前で有名なサグラダ・ファミリアすなわち聖家族教会である。1882年に着工され、アントニオ・ガウディが1891年に引継ぎ、彼の死後も、建築が続けられ、完成には後100とも200年とも言われている。何人かの日本人も現在、建築に参加していた。正面の塔は170mのイエスを表す塔と150mの聖母を表す塔から成り立っている。さらに、イエスの降誕、受難、栄光を表す3本の塔、使徒を示す4本の塔、福音者に捧げる4本の塔などが完成時には出来る予定である。これらの塔を見上げると壮大さの中にも多くの彫刻が施され、繊細さも感じ、興味深い建造物である。エレベータにより展望台に上がられ、眺めは雨にもかかわらずよかった。正面の彫刻などの装飾は非常に多彩であり、ガウディの面白さを示しているが、裏側の装飾は現代的な比較的単純化されたものであった。内部の支柱も多岐にわたり興味をそそった。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

サグラダ・ファミリア(聖家族教会)

教会内部

ついで、ガウディのデザインによる公園に行った。公園のあらゆるところに一般に考えられる公園とは大きく異なったデザインが施されており、いつまでも飽きさせないものであった。このバルセロナにはピカソやミロの美術館もあるようだが、ここに住み着けばガウディ、ピカソ、ミロなどの発想があたりまえのように自然と湧き出て来そうに思われた。さらにガウディが作った模型を基に壁面を刻んで造られた建築、カサ・ミラの外観の観光を行った。波打つ壁面、ベランダには鉄製の海草のようなものが取り付けられ、一目でガウディによるものと見て取れる特徴のある建築であった。

昼食後、地中海に沿って南下し、オリーブ畑とバレンシアオレンジ畑の続く高速道路を360kmほどバスでひた走り、バレンシアに着いた。夕食には写真のような大きいシーフードパエリアの一片がメインに出された。

グエル公園

グエル公園

カサ・ミラ

パエリア

1月31日(火)今日も天候は良くない。午前中バレンシア観光を行った。バレンシアは人口80万人でスペイン第3番目の都市で、バレンシアオレンジや米の産地でもある。まず、カテドラル(大聖堂)の外部観光を行った。このカテドラルは14世紀末に完成したもので、17、8世紀にも改築されているため、ゴシック様式にバロック様式と後のネオクラシック様式が見られる建築である。ついで、ラ・ロンハを訪れた。ここは絹などの取引所として15世紀末に造られたもので、ゴシック様式の建築物である。ここは、写真のように大広間になっており、らせん状の支柱が特徴である。今では、毎日曜日に古銭や切手の市が開かれているとのことであった。10時開場であったため、ここに入る前に道を隔てて向かいにある中央市場を見物した。中央市場と言うだけあって、非常に広い場所に非常に多くの店があり、果物、野菜、肉などであふれていた。この後、首都のマドリッドへの途中にあるクエンカに向かった。220kmほどの道程であった。この間の道路は高原にあるため、スペインも何十年ぶりかの寒波で、ブドウ畑などに数日前に降った雪が多く残っていた。

カテドラルと八角形のミゲレテの塔

ラ・ロンハ

ラ・ロンハ内部

クエンカへの途中

右手にパラドールを望む

パラドールの中庭

午後1時頃クエンカに着いた。クエンカはフカル川とウエカル川によって浸食されて出来た石灰岩の船の先端のような台地である。まず、バスを降り、ウエカル川に沿って登り、16世紀に建てられたゴシック様式の修道院(パラドール)で昼食を取った。このパラドールは現在はホテルとして使われており、スペイン、日本の両皇太子殿下も泊まられたとのことである。昼食後、人のみが通る鉄橋を渡り細い道を登り、ウエカル川の絶壁にはみ出るように建てられた家(宙吊りの家)の前を通り、更に登り、カテドラルまで行った。このカテドラルは12、3世紀に建てられたものである。更に少し登り、展望台に行った。展望台からはフカル川と新市街を望むことが出来た。自然の城砦を利用した面白いところである。この後、165Km離れたマドリッドに向った。この間にも多くのオリーブ畑があり、オリーブ畑の多さに感心した。日本では小豆島がオリーブで有名だがこれからは想像絶するものである。途中のところどころには小さな村が点在しているが、広大な農地にはほとんど家を見つけられない状態で、本当に人口密度が低いことを実感した。

クエンカの左端の宙吊りの家を望む

クエンカの家並みを望む

宙吊りの家

カテドラル

クエンカの展望台からの眺め

クエンカからマドリッドへ

プラド美術館(ゴヤ側入り口)

ゴヤの銅像

2月1日(水)今日はようやく晴れの朝を迎えた。マドリッドは人口300万人のスペインの首都で、グアダラマ山脈の麓の高原台地で標高が646mあり、イベリア半島のほぼ中心に位置するため寒暖の差の激しい大陸性気候である。だが今朝の気温はむしろ大阪より温かく感じた。今日のマドリッド市内観光のメインはプラド美術館である。この美術館はヨーロッパ3大美術館の一つで、所蔵8000点、展示3000点で、スペインの3大画家ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの名作や中世から18世紀にかけてのヨーロッパ絵画が多く展示されている。このような大きな美術館を1時間程で見るには不可能なので、今回はベラスケス、ゴヤの作品について鑑賞した。この美術館でもルーブル美術館と同じく本物の絵の前で模写がなされていた。本物を前にして、模写できることはうらやましい限りである。

ベラスケスの「ラス・メニナス(官女たち)」

ゴヤの「裸体のマハ」

ゴヤの「着衣のマハ」

オリエンテ宮殿

ついで、王宮(オリエンテ宮殿)の外観観光に行った。ここは1764年カルロス3世の時代に完成したもので、バロック様式と新古典主義が調和した美しい宮殿である。そして、庭園はよく見られるヨーロッパ式の美しい庭園である。この後、昼食を取り、南に70km程離れたトレドに行った。

トレドはタホ川の蛇行侵食により囲まれた高台にあり、対岸の展望台から見ると写真のように全体が見渡せる。この写真で高台の右側で4つの塔がそびえている建物はアルカサル(王城)で15世紀に完成したものである。また、左手に一つの尖塔が見えるのがカテドラルである。このカテドラルは15世紀に完成したゴシック建築で、スペイン・カトリックの総本山である。この後、マドリッドに戻った。

タホ川に囲まれたトレドの街並みを望む

カテドラル

トレド市庁舎(旧ハプスブルグ家の建物)

コンスエグラの町の丘の風車を望む、手前はブドウ畑

2月2日(木)今日は快晴で、朝空気がよく冷えたようで、マンサナレス川の川面から多く霧が発生していた。霧を通しての日の出は美しかった。この中、南に110km離れたラ・マンチャ地方(コンスエグラ)に向った。ここでは計10基の風車が丘の上にある。風車は実際には動いておらず、中も見学は出来なかったが、風車の風情はしっかりと保っていた。また、丘からの眺めは非常に良く、360度のパノラマが得られ、気温もあまり寒くはなく、むしろ肌に適当な緊張感が得られ、すがすがしかった。もっと丘の上を散策する時間がほしかった。ここは、また、小説「ドン・キホーテ」の舞台となった町でもある。昼食後、280km離れたコルドバに向った。

丘の上の風車

グアダルキビル川とコルドバを望む

コルドバは8〜13世紀までイスラム文化が栄えたグアダルキビル川の北側にある美しい街である。街はメスキータ(回教寺院)を中心に白壁の家々が細い道を隔てて軒を連ね、ベランダや外壁には植木鉢が置かれ、冬であるため花は余りないが緑の葉が白壁に映えていた。また、街路や中庭にはオレンジの木が植えられており、赤い実と緑の葉の取り合わせが美しかった。ただし、街路や中庭に植えられているオレンジは実が非常に苦い品種で食べられないので手の届くところにでも沢山実っていた。この地での観光はメスキータ(回教寺院)で、バスの駐車場からメスキータに行く途中、草花に飾られた白壁の路地(花の小路)を通って行った。メスキータは785年にイスラム教のモスクとして建てられ、その後さらに拡張され巨大なモスクになったが、13世紀にキリスト教の大聖堂として転用されたので、現在では多くのイスラム様式を残したカテドラルとなっている。この後、南に170km離れたグラナダに向った。グラナダに午後の7時頃着いたが、ホテルの手前10分のところで、バスがバッテリー切れで、エンストをし、他のバスに応援を頼みホテルに向うというハプニングもあり、ホテルに着いたときには午後8時頃になっていた。

花の小路

メスキータ

メスキータの内部

メスキータのイスラム様式

2月3日(金)今日のグラナダはあいにく雨である。グラナダは人口30万人で、地中海に近いが地中海との間にイベリア半島で最高峰のムラセン山(3482m)を持つシエラ・ネバダ山脈の麓の海抜900メートルの高原都市で、15世紀末までの800年間イスラム世界に支配されたため、イスラム文化を色濃く残している。このグラナダには世界で一番行って見たいところのベスト3に入っている非常に有名なアルハンブラ宮殿がある。快晴のときであれば雪のシエラ・ネバダ山脈をバックにしたアルハンブラ宮殿が見えるはずだが、今日は雨のため残念である。アルハンブラは赤い城の意味であるが、その名の通り赤いレンガ壁で囲まれた城塞であり、建築物の内部はイスラム文化そのもので、各部屋が複雑な細工による装飾で満ちていた。これに対して庭園は池を中心にシンプルな形状の植木で配置されており静けさと落ち着きをかもし出していた。この後、アルハンブラ宮殿の東側で、歩いて10分のところにある王の夏の離宮であるヘネラリフェに行った。ヘネラリフェの庭園もアルハンブラ宮殿とよく似た様式であった。この後、グラナダ150kmほど離れた地中海に面した山の麓のミハスに向った。

ヘネラリフェ(夏の離宮)から見たアルハンブラ宮殿

カルロス5世宮殿(グラナダをキリスト勢力に奪還した王)

アルカサバ(砦)

天人花のパティオ

ニ姉妹の間(鍾乳洞の中を思わせる装飾)

 

ライオンのパティオ(中央にライオンの噴水)

アルハンブラからアルバイシン地区を望む

ダマスの塔と池

ヘネラリーフェ庭園(アルハンブラ宮殿の東側)

ヘネラリーフェ庭園

ミハスの町のサン・セバスチャン通り

ミハスには昼頃に到着し、昼食後ミハスを散策した。ミハスは地中海に面しており、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)のリゾート地フヘンヒローラ市から山の中腹9kmのところにあり、白壁に囲まれた細い路地の入り込んだ街並みであり、路地はタイルで彩られている。あいにくの雨であったが、展望台からすぐ下の方には別荘のよなプール付きの住宅が沢山見られた。また、山の方には白くてきれいなミハスの街が見渡せた。地中海の方には海に面したフヘンヒローラ市が少し見通しが悪いが見渡すことが出来た。このミハスの街には小さいが闘牛場があり、雨の観覧席と闘牛の行われる場に立つことができた。白い壁に赤い土が良く映えた。この後、海岸まで降り、北に山越えし200km離れたセビリアに向った。セビリアへの途中で、半円状の虹を出くわした。セビリアに夕刻到着し、夕食時にフラメンコディナーショーを見た。フラメンコのライブを実際に見たのは初めてであったが、力強いリズミカルな踊りを楽しく見ることが出来た。

展望台下の別荘地

ミハスの町

闘牛場

街並み

地中海に面したフヘンヒローラ市を望む

ミハスからセビリアへの途中

フラメンコディナーショー

黄金の塔(グアダルキビール川の見張り塔)

2月4日(土)快晴の中、セビリア観光に出た。セビリアは南のアンダルシア地方の中心都市で人口70万人でグアダルキビール川沿いの平野にある。この川の見張り塔である黄金の塔でセビリアでの観光ガイドを待った。この後、1992年のセビリアのイベロ・アメリカ博覧会の時に建てられたスペイン広場に行った。アルカサールは9世紀にコルドバのアブデラーマンUにより造られた宮殿であるが、現在の宮殿は14世紀にスペイン王のドン・ペドロ1世により改修されたものである。外観だけの観光である。また、カテドラルは幅76m、奥行き116mのスペイン最大のカテドラルで、ヨーロッパではローマのサンピエトロ寺院、ロンドンのセントポール寺院に次ぐものである。これは15世紀から100年かかって作られたゴシック様式のものである。内部を見学できたが、時間がないためただ足早に暗くて非常に長い堂内を通り過ぎたという以外に思い出はない。このカテドラルに隣接してひときわ高い塔がそびえているがこれがヒラルダの塔である。この塔は12世紀のイスラム教寺院の一部でキリスト教がセビリアを奪回したときにこの塔だけが残された。この塔の鐘が頻繁に鳴らされていた。この見物後、細い街並みを通り抜けて、ロッシーニによる歌劇「セビリアの理髪師」のモデルの店の見物を行った。この後、310km離れたポルトガルのエヴォラに向った。ポルトガルに近づくとコルクの木が増えて行く。通常の木の幹の木肌は緑っぽい白さであるが、コルクとして剥ぎ取られた後の木肌は黒っぽく見え、皮をはいだ年がペンキのようなもので書かれている。木の皮を剥ぐ間隔は9年ごとということである。木の間には闘牛用の角のある黒い牛が放牧されていた。ポルトガルがコルク生産世界一とのことである。ポルトガルに行く途中、バスのクラクションが運転手に関係なく勝手に鳴り出すという故障が生じ、日本で言う白バイが現れ、しばらく停車し、運転手が修理しようと努力し、なんとかだましだまし運転することになり、クラクションが勝手にならないようにしながら運転を続行した。国境では現在、何の検問もなくバスは止まることなく通り過ぎた。

スペイン広場

アルカサール

カテドラルと右側のヒラルダの塔

セビリアの理髪師の家と言われている

エヴォラへの途中闘牛の放牧とコルクの木が目立つ

ディアナ神殿

ポルトガルのエヴォラには小高い丘の上にあるディアナ神殿やカテドラルやサン・フランシスコ教会がある世界遺産の歴史地区であり、この地でバスコ・ダ・ガマがインド洋に向う前にマヌエル1世に謁見し、16世紀日本の天正遣欧少年使節もここを訪れた。まず、ディアナ(月の女神)神殿に行った。この神殿は2世紀末のローマ時代に造られたものでパルテノン神殿を思わせる。ついで、カテドラルに行った。カテドラルは12、3世紀に造られたゴシック様式のもので、少年使節もここのパイプオルガンを演奏したとのことである。さらに、16世紀に造られたルネッサンス様式のサン・フランシスコ教会に行った。この教会の内部が特別に目を見張るものではなかったが、この教会に隣接して、人骨堂があった。この人骨堂は内壁や柱が頭蓋骨をはじめとした5000体ほどの人骨によって作られており、非常に異様な光景であるが、ここは、修道士が瞑想する場として使われるということで、あの世をも超越して自分を見つめるということであればむべなるかなと感じた。昼食後、125km西にあるポルトガルの首都リスボンに向った。

ディアナ神殿からのエヴォラ眺め

エヴォラ大聖堂

大聖堂内部

サン・フランシスコ教会

教会内部

人骨堂内部

人骨堂内部

リスボンの水道橋

2月5日(日)今日も快晴である。リスボンは人口58万人でポルトガルの首都である(時差は9時間)。当初の予定ではリスボン観光を午前中にして、午後にロカ岬およびシントラに行く予定であったが、行楽日和なので夕方リスボン市内に帰る場合交通渋滞が起こる恐れがあるので、急遽計画変更され、午前と午後の計画を入れ替えることになった。そこで、朝から45km西に離れたユーラシア大陸最西端のロカ岬を訪れた。天気が快晴であったので、大西洋に夕日の沈むのを見るのも良いが、私はむしろ岬の陸地の方が明るいときに見たかったので、この計画変更がうれしかった。バスは岬に近づくほど細いくねくねした道を走った。岬には例にもれず灯台があり、まず最初に目に付いた。岬の先端は灯台より数百m南にあり、記念碑が立っている。これには16世紀ポルトガルの詩人、カモンイスの詩の一節「ここで陸終わり、海始まる」が刻まれている。そして、この記念碑のある地点は北緯38°47、東経9°30、海抜140m、である。ここを訪問したことの証明書を発行してくれた。先端から灯台の方の海岸を眺めると波に浸食された断崖が続く絶景であった。岬は写真のように木はなく低いつめきり草の葉を非常に大きくしたような葉の分厚い植物が覆っていた。清清しい空気を吸いながらの絶景はさらなる長居を望んだが、時間の関係上、次の訪問地のシントラ宮に向った。シントラ宮はこの岬と同じ丘陵地にあり、数10分でシントラ宮に着いた。シントラ宮は14世紀にジョアン1世が夏の離宮として建てたものである。中は写真は禁止であったが、格別の豪華さはなかった。ただ、広い厨房室の天井を貫いた2本の大きな円錐の煙突は非常に珍しく面白かった。ここの街並みは丘陵地にあるため坂道沿いにあった。

車内からロカ岬を望む

ロカ岬

ヨーロッパ大陸の最西端の碑

ロカ岬の灯台

岬の草花

岬の草花

シントラの街並み

シントラ宮(2本の円錐は厨房室の煙突)

ジェロニモ修道院

ジェロニモ修道院の礼拝堂

昼食後、リスボンに戻り、市内観光を行った。まずはジェロニモス修道院である。ここはエンリケ航海王子が建てた礼拝堂の跡にマニュエル1世がヴァスコ・ダ・ガマの海外遠征で得た財で造らせた修道院で、1502年から建てられ始めた後期ゴシック様式のものである。堂内にはヴァスコ・ダ・ガマの棺と詩人のルイス・デ・カモンエスの棺がある。中庭も大きく、規模として非常に大きな修道院である。ついで、すぐ近くにあり、リスボンを流れる大きなテージョ川の岸辺にあるベレンの塔に行った。ここは港を守る小さな要塞で16世紀初頭にマヌエル1世の命により建てられ、今は博物館なっている。さらに、そばには無名戦士の墓があり、前には両側に見張り小屋があり、兵士が立っており、1時間交代で24時間見張りを続けている。日本も靖国神社のような馬鹿げたものではなく、このようなすっきりとした方式で犠牲者を弔えばよいのにとつくづく思った。さらに、大航海時代を記念する高さ52mの「発見のモニュメント」でエンリケ航海王子を先頭にコロンブス、マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマ、ザビエルなどの人物が彫刻されている。「発見のモニュメント」の川上には4月25日橋が見える。この橋は1910年共和制になったが途中で台頭したサラザールによる右翼独裁政権を1974年4月25日に軍人グループによる無血革命(リスボンの春と呼ぶ)により倒したことを記念してつけられた橋の名前である。

ジェロニモ修道院の中庭

ベレンの塔

無名戦士の墓

テージョ川と4月25日橋

発見のモニュメント

バルト海の近くの上空?

2月6日(月)午前3時ホテル出発でリスボン発5時50分の1番機でアムステルダムに10時に到着、ここで、乗り継いで、午後2時5分発関西空港行きの飛行機に乗り、2月7日(火)の午前9時20分に到着した。飛行機ではほとんど眠れなかった。スペイン、ポルトガルへは関西空港からの直行便がないので、ヨーロッパのほかの都市で乗り継ぐ必要があり、時間がかかるので、行き帰りだけで非常に疲れる。兎にも角にも無事何事もなく帰り着けたことはよかった。ヨーロッパは教会を中心とした観光であり、今回も例にもれなかった。次回はカナダのような大自然のよさを経験したいものだ。

スペイン、ポルトガルは一時期イスラムにより占領されているため建築物などにイスラム文化の影響を強くうけているのが他のヨーロッパ諸国と比較すると非常に特徴的であったので、この点が今回興味があった。今回の旅行は予想より雨が多く、運が悪かったとも思ったが、数日前にスペインに入っていたら雪の影響が多くの場所で受けたかもしれないことを考えると運が少しは良かったようでもある。何しろ何十年ぶりかの寒波であったようで、アルハンブラ宮殿は3日前は雪で滑りやすく危険なため閉鎖されたようだ。今回の食事に関しては特にまずいものではなかったが、やはり野菜は少なかった。また、日本での自分たちの食事では熱処理した野菜を主に食べていたので、野菜といってもレタスが生野菜としていつも出るとうんざりする。朝食はバイキングであったので、野菜を補うため、トマトとか瓜とかスイカとかオレンジとか他の果物で出来るだけ補った。

今回、スペインからポルトガルまでの全工程を運転してくれた運転手はポルトガル人で、バスもリスボンから運んできたものであった。このようにポルトガル人に運転を頼んでいる理由としては、スペインより、ポルトガルの方が生活レベルが低く賃金が安いことによる。ポルトガルは最近EUに加入した中欧諸国よりはレベルは上であるが、中欧諸国の加入の前はポルトガルがレベルとして一番低かったようである。このようなことから我々の運転手も1年のほとんどをイギリスやドイツやフランスなどで観光バスの運転手をして出稼ぎをしているようだ。彼らにとってもEU統一はレベルアップにつながっているようだ。我々もユーロと言う貨幣の統一により、取り扱いが非常に楽になり、統一の恩恵を受けた。

ヨーロッパ共通のことではあるが各観光地においての団体の観光客に対しては現地の観光ガイドを必ず1名付ける必要がある。観光ガイドは資格が必要で非常に難しいため、なかなか現地の日本人で取っている人はない。現地の観光ガイドはほとんど日本語を話せる人はいないため日本人の観光バスの場合は現地の観光ガイドと現地の日本人と必ず2人が付くことになり、現地の観光ガイドは何もほとんど仕事はなく、現地の日本人がガイドをしたり、添乗員がガイドするという非常に奇妙な方式をとる。確かに、現地人の雇用を増やすには良い事かも知れないが我々日本人の観光客には非常にやりきれない問題である。

治安に関してはヨーロッパのどこの都市も同じように日本よりも悪く、すり、置き引き、引ったくりなどに注意するようにといつも言われるが、今回、マドリッドに入る前に添乗員から特に強く注意を受けた。それは、数年前にはモロッコ人を中心とした強盗団がいて、暴力的な行為で金品をはじめ、パスポートを奪い取るということである。また、最近では4、5人の女性が寄ってきて、取り巻き、すり行為を働くということである。このようなことを聞かされ、怯えながらマドリッドに入ったが、とにかく幸いなことに我々の団体は何事もなく過すことが出来た。

 

 

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