韓国紀行(4日間)

最近の靖国神社問題などでの小泉首相の対応の悪さで日本批判が大きくなっている中国、韓国に旅行に行くのはいかがなものかとも思ったが、比較的静かな韓国に旅行することで韓国のことを少しでも理解できればと思い、JTB旅物語の韓国紀行4日間(平成17年5月25日から28日)に参加した。2月には3泊4日の北海道旅行をしたが、その時も往復飛行機を利用して、荷物も機内持ち込み手荷物のみで手軽に旅行をした。今回も荷物に関しては国内と同じで機内持ち込み手荷物のみの手軽さであったが、隣国とはいえ外国であるため、パスポートはもちろん、費用にしても、別に各空港の使用費、入出国許可書作成など国内旅行との違いの大きさを実感した。                                          

5月25日(水)の9時半に関西国際空港に集合し、手荷物、身体検査、税関など出国手続きを行い、11時30分、アシアナ航空、OZ113便で出発した。私は飛行機に乗ると窓から景色を眺めるのが好きで、今回は写真で示しているように大鳴門橋、瀬戸大橋がはっきりと眺めることができた。機内では昼食としてハンバーガーとジュース、コーヒーが出た。飛行機の所要時間は約1時間半で、釜山に近づいて海岸を眺めると非常に幅の広い遠浅の海岸であった。また、陸地は整然とした田畑の耕地が眺められた。釜山(プサン)国際空港の端の方に軍用機が眼に入った。すぐに、バスに乗り釜山の北部にある慶州市の観光に出発した。今回は日本からは添乗員が乗らず、韓国で韓国人の添乗員がガイド役もやり、ほかに補助スタッフとして、男性のカメラマン(観光途中でわれわれの写真を撮り、販売した)がいた。韓国人の添乗員は非常に日本語が堪能で、カメラマンも日本語がうまかったので、現地での不便はなかった。また、今回のツアーの人数は40名で観光バス1台で満員であった。そして、40名の中には在日韓国人が10名程度いた。中には慶州で夕食を知り合いの韓国の人と別個に摂った人もいた。80歳位の男性の在日韓国の人と話したが、その人は幼少の時には父に連れられて韓国に行ったことはあるが、それ以来今回がはじめてであると言っていた。まず、車外で目に付いたのは高層のマンション群で、農地は日本と同じように水田、ビニールハウス栽培が多く見られた。

大鳴門橋

瀬戸大橋 

釜山市近郊

釜山国際空港内

釜山市近郊

慶州市の古墳公園

まず、慶州(キョンジュ)市中心部の古墳公園(コブン・コンウォン)に行った。ここでは新羅王朝の王族の古墳群があり、7基の王陵と23基の古墳があり、それぞれがなだらかな小山(最も大きいもので底辺直径が83m、高さ25m)で、草で覆われ、季節もよく心地よい風で古墳の草がなびいていて美しい景色であった。また、これらの古墳の一つの天馬塚と呼ばれる古墳の内部が公開されており、内部では出土品と墓のレプリカが展示されていた。韓国の小学生の見学も非常に多く見受けられた。古墳公園見物後、慶州市郊外の仏国寺(ブルグクサ)に行った。仏国寺は新羅時代の751年に創建され、1593年にほとんど消失し、1970年ごろ復元された。仏国寺には多くの建物があり、天王門をはじめとして紫霞門大雄殿、無説殿、毘盧殿、観音殿、安養門、極楽殿などがある。天王門内には四天王が安置されており、この四天王像は色彩豊かな面白いものであった。建物も赤と青により彩られている。

慶州市の仏国寺

天王門内の四天王像

 

天王門内の四天王像

大雄殿

大雄殿前には新羅石造技術による多宝塔と釈迦塔があり、内部には国宝金箔の阿弥陀如来像が美しい姿で鎮座していた。殿内での如来像の撮影が禁止されていたので、あまり良い事ではないが遠くから望遠で撮影した。仏像の撮影は日本でも禁止されているが、実際に見た感動を写真に残すのがなぜ許されないのか残念である。フラッシュ撮影は見物人の迷惑になることは分かるが。この写真に見られるように金ピカではあるがお顔は伏せ目がちで非常に静かで穏やかなお姿である。また、毘盧殿には毘盧遮那佛像が安置されていたが、このお顔の目は真正面を見、何事にも動じない姿で鎮座していた。さらに、観音殿ではすべてをやさしく見守ってやろうという慈悲心の観音菩薩像が安置されていた。ここでも、小、中学生でにぎわっていた。この見物の後、仏国寺の近くにあるレストランで夕食として海鮮鍋を食べた。韓国の食事には必ず、いくつかのお皿に海草の酢の物、白菜キムチ、大根キムチ、角ジャガイモときゅうりの和え物などが多く出されていた。私はあまり唐辛子の辛いものには弱いので、ほとんど手をつけなかったが、辛いものが好きな人も多く、特に在日韓国の人たちは店員が不機嫌になるくらいおかわりを要求していた。海鮮鍋も辛かったが我慢して食べた。私にとってはあまり美味しいとは言えなかった。夕食後ホテルに行ったが、ホテルにはゴルフ場が隣接していた。

大雄殿の釈迦牟尼像

大雄殿側から見た多宝塔(左)と釈迦塔

毘盧殿の毘盧遮那佛像

観音殿の観音菩薩像

26日(木)快晴で、朝食はホテルで摂ったので西洋式の食事であった。気温も涼しく気持ちのいい朝であった。8時ころ観光に出発した。まずは昨日訪れた仏国寺の裏山の吐呑山(745m)の山中にある石窟庵(ソックラム)を訪れた。バスで山を上って行き、数百メートル参道を歩いたが、5m程度の幅の土道で、きれいに掃き清められており、気持ちよく歩いて登ることができた。これは751年に立てられており、前の建物の奥に石窟があり、ドーム状に花崗岩で作られており、その中に高さ3.4mの釈迦如来坐像が安置されていた。撮影禁止のため撮影できず、また、ガラスで仕切られていたのが残念であった。石造りであるためか重量感があり、でんと鎮座ましますと言う感じであった。この後、再び慶州市内の古墳公園の近くにある瞻星台(チョムソンデ)に行った。これは大きな広場にぽつんと立っている石組みの円筒台形の塔で、高さ9m、上径3m、下径5mのものであり、7世紀前半に作られ、この内部から星や太陽、月などを観察する天文台として使われていた。このあと高麗青磁の窯元により、内部の見学と磁器の陳列の見物を行い、ここで、壷が気に入ったので、少し奮発して壷を購入し、少し大きいので窯元より送ってもらった。昼食はレストランで松の実や豆などが入った栄養釜飯(ヨンヤンパブ)を食べた。この後、慶州から西に向かい大邱(テグ)を通り、海印寺に向かった。

石窟庵(左の建物)

瞻星台(チョムソンデ、東洋最古の天文台)

大邱の海印寺

大寂光院

海印寺(ヘインサ)は伽倻山(1430m)の中腹にあり、バスである程度までは登り、バスを降りてから、約20分程度山道(1千数百メートル)を歩いた。海印寺は新羅哀荘王3年(802年)に創建されたものであるが、現存するほとんどのものは李朝時代末期に再建されたものである。境内には多くの建物がある。われわれは大寂光院で毘盧遮那佛像を拝み、さらに上の八万大蔵経に行った。この中には八万大蔵経の木版経典が保管されており、この保管の仕方が校倉造りで、うまく保管されている。この海印寺に1時間半程度かかった。この後、一路、西北にある大田(テジョン)市に向かった。夕食はレストランでテジカルビを食べた。ホテルは儒城温泉(ユソン・オンチョン)にあり、ホテルに温泉が併設されているが時間も限られており、不便そうであったので、温泉には行かなかった。ホテルの周りは歓楽街でにぎやかであった。

大寂光院の毘盧遮那佛像

八万大蔵経

木版経典の八万大蔵経

海印寺途中の渓谷

扶余市の宮南池

定林寺址の五層石塔

27日(金)も快晴で、朝食はホテル近くのレストランで韓国式朝定食として、お粥と焼き魚などを食べた。この後、大田市の西の扶余(プヨ)市にある宮南池(クンナムジ)に行った。ただ、広い農地の中に池があるだけではあるが、この畔には百済最後の別宮があり、史跡があったとのことである。ついで、定林寺址(チョンリムサジ)へ行った。ここは後期百済の寺院址で、広い土塀に囲まれ、中には高さ8.3mの五層の石塔が残されており、堂内には高さ5.62mの石仏坐像がある。この石仏は素朴で趣きのある石像である。この後昼食を摂った。昼食は若鶏のお腹に餅米や高麗人参、豆、ナツメなどを詰めて煮込んだサムゲタンで美味しかったが、高麗人参は苦かった。昼食後、北部のソウルに近い水原(スウォン)市に向かった。水原市には水原華城(スウォンファソン)があり、水原華城は1793年に朝鮮王朝第22代国王がソウルから遷都を計画して築かれたものであるが、遷都は実現しなかった。この城壁は非常に広大な領域を囲んでおり、われわれは東北部の一部の城壁を巡った。城壁の内部は大きな市街地であるため広大さは実感したが、特別な感動にはつながらなかった。この後、ソウルに向かい、ソウルのロッテワールドに行き8階の免税店をはじめとして他の百貨店内を巡った。そして、レストランで夕食を摂った。夕食は在韓米軍が持ち込んだハムやソーセージが入ったラーメン入りの鍋のブデチゲを食べた。これは雑な味でうまいとはいえなかった。夕食後、オプションでソウルのショッピング街にバスで出かけた。

石仏坐像

水原華城の城壁

水原市内(城壁内)

水原市内(城壁内)

水原城壁と東北空心墩

南大門

夜のショッピングはまず、南大門市場(ナムデムン・シジャン)に行った。南大門は1398年に造られた2層の楼閣である。この南大門の東に広がる商店街が南大門市場で、添乗員は上野のアメ横のような所と言っていたが、実際に行って見るとアメ横の比ではなく、ものすごい商品の山で、路の真ん中にも露天があり、商品の間をかいくぐってショッピングする。商品の多くが衣類で埋め尽くされていた。日本でこれほどの場所は見たことがなく、私は圧倒された。マンション群と共に活気のある韓国の代表ではないだろうか。ついで、明洞(ミョンドン)に行った。ここは若者の町で、ブランドの店が立ち並び心斎橋筋のような感じであった。夜9時過ぎに郊外のホテルに着いた。

南大門市場

宗廟の正殿

28日(土)今日も快晴であった。旅行は天気がなによりの決め手である。朝食はホテル近くのレストランで牛の骨からとったスープのソルロンタンと焼き魚とご飯で美味しかった。まず、宗廟(チョンミョ)に行った。宗廟は朝鮮王朝歴代の国王と王妃が祭られている。建物は1608年に再建されている。宗廟の境内は市街にあるにもかかわらず18万平方メートルと広大で、非常に静かな場所であった。正殿は非常に長い建物で非常に広い石畳の上に建てられており、静寂で厳かさが感じられた。ついで、仁寺洞(インサドン)に行った。ここは民芸品、工芸品、骨董品店が軒を連ねており、ゆっくり見回れば面白いのではないかと思った。昼食に冷麺を食べた。冷麺は素麺の細さで、そば粉が入った春雨の腰を強くしたような麺で、あまり美味しいとは思わなかったが珍しかった。昼食後ソウルの西の仁川港沖合いにある仁川国際空港に向かった。途中、韓国の国会議事堂の屋根の部分を見ることができた。4時20分発の飛行機に乗り関西国際空港6時に無事着いた。帰りも行きと同じような機内食が出された。

宗廟正殿門

仁寺洞

仁寺洞の商店

仁寺洞の商店

仁寺洞の商店

仁寺洞の商店

仁川国際空港途中の高層ビル

仁川国際空港途中の韓国国会議事堂

韓国内では出発前に少し躊躇したような反日感情はどこにも見られず、言葉の壁はあるものの日本国内にいるのと錯覚するくらい問題はなかった。特に南大門市場などでは日本人の買い物客が多いからかもしれないが、韓国人店員と日本人買い物客との間で非常に多く日本語が飛び交っていた。南大門市場に見られるように、また、マンション群の建設状況からも、ソウル市内のビル群からも韓国人のたくましさ、活況状況が特に目についた。一方、古墳、寺院などの世界遺産に対する取り組みが誠実で、日本の観光地世界遺産近辺の方が汚いように思われた。また、ソウルでの大使館とか他の重要な場所には多くの警官や徴兵制による兵士の警護が多く目に付いた。大阪より治安がよいのではなかろうかと思った。水に関してはレストランでは水がだされるが、最初に添乗員さんから飲まないほうがよいといわれていたので、毎回の食事のときにウーロン茶を頼んだが、ウーロン茶は缶で出され、韓国ではあまり需要がないため価格が3000ウオン(約270円)であった。ポリビン緑茶(1300ウオン)を持ち歩いて過ごした。酒は法酒が有名であるが、甘ったるく1度飲んだだけで、後はビール(760ml、5000ウオン)で過ごした。今回、気に入って購入した高麗青磁をさっそく床の間に飾って楽しんでいます。

 

                                             

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