南米11日間の旅    

平成27年5月9日(土)〜5月19日(土)にかけて南米(マチュピチュ、ナスカ、イグアスの滝)11日間の旅に出かけた。この旅行に加わった人数は27人であった。

5月9日(土)

午後5時30分に伊丹空港に集まり、午後7時発の全日空に乗り、羽田空港に8時10分頃到着した。そして、羽田空港から午前0時15分発の航空機でロスアンゼルス空港に午後5時30分分頃到着した。飛行時間は9時間15分で時差はー16時間であった。ロスアンゼルスで空港に近いホテルで宿泊し、十分休養して、5月10日(日)の朝10時頃ロスアンゼルス空港に向かい、ロスアンゼルス空港からペルーのラン航空で午後1時45分に出発し、リマに午後11時21分頃到着した。日本との時差はー14時間であった。

*以下のすべての写真は画像のクリックにより拡大写真になります。

5月11日(月)

朝6時半頃、ホテルをバスで出発し、ナスカの地上絵観光のためリマから約250km南にあるイカに向かった。イカからセスナ機でナスカの地上絵遊覧飛行をするためである。リマからナスカのアンデス山脈の西側は海岸砂漠地帯で赤茶けた山や砂丘が続いた。そして、その中に埃っぽい日干しレンガで作られた屋根のない四角い住宅が散在しており、殺風景な景色が続いた。イカからナスカまでは約100kmほど南東にあり、飛行時間は1時間20分程である。ナスカまでの所要時間が長く、ナスカ上空旋回は15分程度のためナスカの地上絵をじっくりと眺めるということができず、ただ、操縦士の案内の地上絵を探し写真をとるのがやっとで、アッと言う間に過ぎてしまった。ホームページ編集の時に地上絵はほとんど地肌と余り区別がつきにくく、確認するのに時間がかかった。イカに着陸後、来た道をひたすら禿山、砂山の間を駆け抜け、途中で一軒の土産物店に立ち寄り、リマのホテルに午後7時半ころ戻った。セスナ機に搭乗する前には体重測定が行われた。座席のバランスを取るためとのことであった。この地上絵は1〜6世紀に生きた古代ナスカ人が描いたものと考えられているが何の目的で描かれたは良く分かっていない。

中心部の街並み

密集地域

途中赤茶けた禿山が続く

赤茶けた小さな港

果物畑

綿花畑

地上絵遊覧のセスナ機

砂漠の中の街

イカの上空

ナスカの地上絵の遊覧図

クジラ

宇宙飛行士

サル(拡大写真で見ないと分かりにくい)

イヌ

ハチドリ

クモ

コンドル

オウム

ツリー

鮮明ではないが模様が見える

リマへの帰途

 

5月12日(火)

朝7時にホテルを出発し、リマ歴史地区観光に出かけた。リマはペルーの首都で人口約800万人でペルーの人口の1/3を占めている大きな街である。この一部にアルマス広場を中心にした歴史地区がある。征服者ピサロはこのアルマス広場を中心にリマの旧市街を建設し、大統領府や、カテドラル、リマ市庁舎が囲んでいる。カテドラルは1535年にピサロが自ら礎石を築いたペルーで最も古い大聖堂でピサロの遺体が安置されている。大統領府は副王庁の時代からペルーを統治してきた建物である。この後、1546年から100年以上の歳月をかけて完成したサンフランシスコ教会を観光した。この教会はバロックとスペイン南部のアンダルシア様式が取り入れられ、15のチャペルと地下墓地、修道院、宗教芸術博物館からなることで有名である。礼拝堂は白い壁の明るく、美しかった。この観光の後、リマから12時10分発の飛行機でイグアスに向かい午後6時5分頃到着した。飛行時間は3時間55分で時差はー2時間である。ホテルに午後7時半頃到着した。

アルマス広場のカテドラル

大統領府

閲兵交代式

リマ市庁舎

噴水の像の先端にコンドル

サン・フランシスコ教会

市街地のビル

 

 

5月13日(水)

朝7時25分頃ホテルを出て、イグアス国立公園・アルゼンチン側のイグアスの滝観光に向かった。イグアスとは先住民の言葉グアラニー語で“大いなる水”を意味し、その言葉どおり、最大落差80mから落下する大小様々な275の滝で形成されており、その幅が3kmにおよぶと言われている。また、滝の流れる水量はナイヤガラの滝で、滝の高さではアフリカ大陸にあるビクトリアの滝で、滝の数ではこのイグアスの滝であると言われている。まず、バスでブラジルからアルゼンチン側へ越境し、公園内のトロッコ列車に20分ほど乗り、イグアスの滝に向かった。トロッコ列車の終点から徒歩で幾つかの中之島を渡り、悪魔の喉笛と呼ばれる滝に近い展望台に向かった。この「悪魔の喉笛」とは、滝を流れ落ちる水音のすさまじさから付けられた名前であり、滝から流れ落ちる水の水量やその落差によって発生する轟音に圧倒された。展望台でしばらくの間水しぶきを浴びながら滝の素晴らしさを堪能した。この後、トロッコ列車駅まで帰り、中間駅でおり、ボートに乗るために川岸まで下りた。ボート乗り場では自前の雨合羽を着用し、はだしで乗船した。ボートは幾つかの滝に接近し、滝しぶきを浴び、ボートの激しい動きにより、大量の水を被り、若者たちはプールに飛び込んだような状態の濡れようで、歓声をあげていた。少し悔やむのは甘く見てカッパのみで防水ズボンをはかなかったためすっかりズボンが半分水に浸かったような状態になった。幸い適当な暑さであったので、ホテルに帰るまでには乾いてしまった。このボートツアーの後、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイが展望出来るアレゼンチン側の展望台に行った。この後、ブラジル側に戻り、午後4時頃ヘリコプターでのイグアスの滝観光をした。この観光はヘリコプター搭乗時間が10分余りで、滝の上空に3分ほどと短かったのであっという間の観光で、滝の全貌をとらえたというだけであった。そして、この後ホテルに戻った。

トロッコ列車

「悪魔の喉笛」に向かう橋

滝からの水煙が見える

川は広くゆったりと流れ下って来て、巨大な滝寸前の流れはなんとなく不気味ささえも感じる

昨年の洪水で破壊した橋

 

 

悪魔の喉笛の滝に流れ落ちる手前

悪魔の喉笛の滝の全貌、滝に舞うオオムジアマツバメ

悪魔の喉笛の滝

悪魔の喉笛の滝

チョウ

ハナグマ(人に慣れている)

ボート乗り場の途中の滝

ボート乗り場の途中の滝

ボート乗り場への途中の滝

ボート乗り場より

ボート乗船で滝に接近

ボート乗船で滝に接近

ボート乗船で滝に接近

ボート乗船で滝に接近

 

何鳥

 

チョウ1

チョウ2

三国国境地点アルゼンチン側展望台より(右ブラジルの展望台、中央川向うパラグアイ、中央の川:パラナ川、右の川:イグアス川)

滝観光のヘリポート(ヘリ観光時間10分余り)

ブラジル側からの滝観光は左の山道を約1.3km一番奥の大きな滝が悪魔の喉笛

手前の滝が悪魔の喉笛、左側がアルゼンチン側

左の滝が悪魔の喉笛、右側ブラジル側

5月14日(木)

今日のホテル出発は遅く、午前11時半にホテルをバスで出発した。今日のイグアスの滝観光はブラジル側からであった。ブラジル側の河岸沿いの遊歩道を悪魔の喉笛以外の滝を見ながら1.3kmほど歩き、滝の変化を楽しんだ。そして、最後の展望台では滝のしぶきを浴びながら滝の眺めを楽しんだ。そして、遅い目の昼食後、イグアスの空港に行き、午後7時45分発の航空機でリマに午後10時10分頃到着し、ホテルに午後11時半頃到着した。

ブラジル側の河岸の遊歩道1.3kmの歩き始め

 

左奥が悪魔の喉笛

遊歩道の終点付近より

右の奥が悪魔の喉笛

悪魔の喉笛

ブラジルの国鳥オオハシ(土産物店で飼われていた)

ハチドリ(土産物店で飼われていた)

 

 

5月15日(金)朝8時半に空港に向かい、リマ発10時55分の航空機でクスコに12時55分に着いた。今回はクスコ上空には予定通りに到着したが、天候上とのことで40分ほど上空で旋回をしていたため遅延した。少し、不安であった。この後、大きなスーツケースは明日泊まるクスコのホテルに送り込み、今夜のマチュピチュのホテルへは列車で行くため最小限必要な量の物をリュックに入れて行くことにした。そして、到着後、クスコ観光に出かけた。クスコは、ペルーの南東クスコ県の県都である。アンデス山脈中の標高3600mのところにあり、人口はおよそ30万人で、11〜12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の首都であり、文化の中心であった。クスコとは、ケチュア語で、「へそ」を意味する。クスコは富士山の山頂と同じくらいの標高のため空気が薄く、高山病にかかりやすいため行動はゆっくりするようにとの注意があった。私個人としては特に余り変化を感じなかった。 観光はアルマス広場で、ここにはカテドラルがある。カテドラルはインカ時代のビラコチャ神殿の跡に建っており、1550年から100年間掛けて建てられた。主祭壇は、銀300トンを使ったといわる素晴らしいものとのことである。屋根には、南米最大の鐘がある。クスコ観光後、バスで1時間50分程かけてオリャンタイタンポ駅まで行った。そして、オリャンタイタンポ駅から列車で1時間30分ほどかけて、アグアス・カリエンテス駅(マチュピチュ駅)に行った。そして、ホテルに午後6時30分頃着いた。

クスコ上空(クスコは標高3600m)

アルマス広場。カテドラル

アルマス広場のラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会

 

 

 

 

オリャンタイタンポの街(標高2600m)

マチュピチュ駅行の列車

列車はウルバンバ川に沿って下り走る

 

 

5月16日(土)

朝7時ホテルを出発し、村から標高2430mにあるマチュピチュ遺跡までマイクロバスの乗り合いバスに乗り尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間をハイラム・ビンガム・ロード(13のヘアピン カーブを持ったつづら折りの坂)を登った。マチュピチュとは老いた峰を意味し、山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれる。マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区はインカ独特の精巧な石積み技術による神殿や宮殿、750人ほどの居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められ、高度な利水システムが完備されていた。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、いなくなってしまった。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。この遺跡には3mづつ上がる段々畑が40段あり、全部で3000段の階段でつながっている。石の建物の総数は約200戸と言われている。遺跡の標高は2430mと言われており、後山のワイナピチュ山は「若い峰」と言われ、標高2720mで、マチュピチュ山は「老いた峰」と言われ、標高は3080mと言われている。天候は曇り空でマチュピチュの遺跡が雲に覆われて見えないのではと心配しなが遺跡に行った。結果は遺跡全体を望むことはできたがワイナピチュ山はほとんど雲に覆われていた。そして、観光の途中からは30分ほど雨が強く降ったが、遺跡観光は無事回ることができた。以下の主要な建物の説明はインターネットより得られたものです。インターネットで山の標高を調べるとばらつきがあり、正確な標高はわからない。

太陽の神殿 美しい曲線を石で表現するというインカの石組みの技術を見ることができる。 この下には陵墓と呼ばれるミイラを安置していたのではないかという 場所がある。インカでは歴代の王のミイラがまるで生きているときの ように扱われていた。 インカの歴代の王のミイラは政治にも影響を及ぼした。

主神殿:神聖な広場で一番重要と呼ばれている神殿である。インカの石組みで有名なのは12角の石などの 複雑な石組みであるが、 実は神殿などの重要な場所の石はつるつるとした 四角形の石が使われている。インカの複雑な石組みは神聖なもののためではなく、 耐震のために複雑な入り組んだものを作ったと考えられている。四角形のシンプルな石ほどより神聖な場所とされているのは クスコで一番重要な神殿であったコリカンチャ( 黄金の居所 =現在のサントドミンゴ教会 ) の四角形でシンプルな石組みを見ても明らかである。これらの石は表から見ると非常にただの四角形の普通の石に見えるが、 実は後ろ側はコの字形になっていて、 頑丈になっている。

3つの窓の神殿: 神殿ゾーンにある 神殿のひとつです。 三方面を石で囲まれており、合計17個の壁龕があります。 この壁龕にはインカの偶像が入っていたということである。また、この3という数字は インカの発祥ともいえる マンコカパックを含む 四組の夫婦がでてきた3つの洞穴を表しているという 説もあるが、 単純に 3という数字が インカでも神聖な数字とされていたという説もある。

インティワタナインティワタナとは原住民の言葉で、 インティ ( 太陽 )、ワタナ( つなぐもの ) という意味である。
インティワタナはマチュピチュの遺跡の中で一番高い 場所にあることも考えて、この石が 太陽信仰を表していることは間違いないといわれている。 角のように大きく突き出した部分のまわりは ひし形になっており、 その四角は東西南北をぴったりと向いています。
そのことから、インティワタナを 日時計であったのではないかという説を唱える人もいますが、 実際の使われ方はわかっていません

コンドルの神殿:この神殿は神聖な儀式が行われた場所ではないかといわれている。また、コンドルの石の奥の部分からミイラがでてきたことから マチュピチュを世界に発表したハイラム・ビンガムは この場所を牢屋だったと分析しました。 コンドルの神殿といわれているのは、 手前側がコンドルの頭になっており、 後ろの岩がコンドルの両翼になっているのが わかる。柵に囲まれた部分に生贄をささげて儀式をしたといわれている。コンドルのくちばしの部分には、また違った石が円形に 作られている。この部分には生贄の血をたらしたとか、 チッチャ( ビッグコーンから作るお酒 ) をたらしたといわれている。コンドルの神殿の奥の壁龕の 底の部分は斜めになっており、その部分には 罪を犯したものを つなぎとめる綱を結ぶためにあったとか、 チッチャを入れる土器が、平面に立たない形を していることから、チッチャの土器を 立たせるためにあったのではないかといわれている。

段々畑:マチュピチュの遺跡の横は段々畑になっている。この畑ではジャガイモ、トウモロコシ、ユカ、キノア、コカなどの アンデス原産の農作物が栽培されていた。

水汲み場:マチュピチュにはこのように 水が沸いてくる場所がある。この水はマチュピチュの正面にあるワイナピチュから流れてくる 水といわれている。水汲み場は10以上あり、 上の水ほど高貴な人が使っていたと言われている。

聖なる岩:この岩の形はクイを形どっているとも いわれている。 クイは日本語だとテンジクネズミと言わ、ネズミが頭を右側にしている 形と言われている。また、後ろに山があり、その山の形とこの石が同じ形をしている。

天体観測の石:この部屋には屋根がなかった考えられ、水を張って天体観測をしたのではないかと言われている。

このマチュピチュ遺跡観光4時間後マイクロバス、高原列車を乗り、オリャンタイタンポに戻り、さらにバスでクスコに戻った。もうすでに日が暮れていたが、昨日、リマからクスコに来た時に航空機の着陸遅延のため観光できなかった12角の石の観光に行った。場所はアルマス広場に近い所でインカ・ロカ通りにあった。ここにはインカの石組の壁が続き、それぞれの石が精巧に加工され、角を丸めたり、大きさを変えたり、角度を変えたりして耐震性を高めており、12角の石などもある。この観光の後、ホテル行った。今夜のホテルは旅行の最後のホテルであった。

駅に近いマチュピチュ村

駅に近いマチュピチュ村

ウルバンバ川

ハイラム・ビンガム・ロード(13のヘアピン カーブを持ったつづら折りの坂)をマイクロバスでマチュピチュ遺跡に30分余りで到着

遺跡入口

見張り小屋付近からの遺跡

見張り小屋付近からの遺跡全貌と雲に隠れるワイナピチュ(2720m)、左の谷はウルバンバ渓谷

右の建物:3つの窓の神殿、左の建物:主神殿

主神殿

右の芝生:メイン広場、広場の上の建物:未完成の神殿、樹木の場所:農業試験所

インティワタナ(日時計、遺跡内の一番高い所)

前方の建物:3つの入口の家

右の高い建物:二階建ての家

コンドルの神殿

陵墓

水飲み場

正面の建物:太陽の神殿

ワイナピチュ登山入口

一番よく見えた時のワイナピチュ山、上部にワイナピチュ遺跡

正面建物:ワイラナ、左にリャマ

聖なる岩

天体観測の石

段々畑

遠くに見張り小屋、背景の山:マチュピチュ山(3080m)

オリャンタイタンポ駅付近の出店

夜のアルマス広場

インカ・ロカ通りの12角の石

12角の石

 

5月17日(日)朝6時にホテルを出発し、クスコ発8時5分発の航空機に乗り、リマに9時半に到着し、午後12時40分発の航空機で、ロスアンゼルスに午後7時25分ころ到着した。そして、5月18日(月)1時20分ロスアンゼルス発の全日空機に乗り、5月19日(火)羽田に朝の5時頃到着し、羽田発7時半発の全日空機に乗り、伊丹空港に8時40分頃到着し、無事午前11時頃に自宅に帰ることができた。17日の朝6時にホテルを出発してから自宅に到着すまで実に39時間の長旅であった。今回の旅行はナスカの地上絵、イグアスの滝、マチュピチュ遺跡の3か所巡る旅で、時間的効率の観点からは非常に効率の悪い旅であった。特にナスカの地上絵はセスナ機の搭乗時間は1時間余りあったが、地上絵上空の時間は18分程度で、この間必死に地上絵の写真撮影に没頭したため、地上絵を眺めたと言う思いは非常に乏しかった。特筆に値するのはイグアスの滝の迫力であった。また、今回の南米では建物内での下水道の配管が細く詰まりやすいことと水質、紙質の問題もあって、トイレでの使用紙は水と共に流すことができず、必ず他の容器に捨てる必要があった。少し、戸惑った。確かに、中国でも経験はあったが。また、貨幣のことであるが、ペルーとブラジルでの使用貨幣が違うため持参する貨幣をどのようにすれば良いか少し心配であったが、ドル貨幣だけでペルーもブラジルも全く問題なく使い過ごすことができた。

 

                                                    上部へ      

HOME 趣味1(旅行) 趣味2(絵画他) 趣味3(陶芸) 徒然(電気雑記)

 

 

 

inserted by FC2 system